42歳の私は未だふらふらとしている。
落ち着きがなく、瞬間湯沸かし器の気味もある。
だからこの日記を彷徨亭日乗と呼び、東村山の
住まいを癇癪館と名付ける。
こういった人間である。

バックナンバー 最新

■一月五日

No.221

 図書館で資料探し。見つからず。所沢ワルツで再びジャズのCD買う。
夕方から夜まで『ニッポン・ウォーズ』京都版の改訂箇所を書く。スタジオ21ヴァージョンは大きく改訂される。テロのせいである。
■一月六日

No.222

 引き続き改訂の台本原稿書き。
夜、『恋に落ちたシェイクスピア』を見る。つまらない映画。シナリオのトム・ストッパードの手だれぶりが鼻に付く。映画的快感度はほとんどゼロ。
テレビをザッピングしていると島田雅彦氏が高校生達と何やらしゃべっている。どうもこの人は相変わらずどこかいかがわしい雰囲気を漂わせていると感じるのはかねてよりの付き合いのある私だけであろうか。
■一月七日

No.223

 午後、早稲田リーガロイヤルクリニックの人間ドックへ。
色々な検査。検査ごとに色々な看護婦さんが現れ、イメクラとはこうした雰囲気なのではと想像する。直腸検査では肛門にぐいぐい指を突っ込まれる。こういうものだとは知らず、パンツを脱いだと思ったらいきなり押し倒されたような気分。但し指の主は男の医者。 クリニックを後にして研究室で講義の準備。
新宿のヨドバシカメラに行く。
■一月八日

No.224

 早稲田の理工の講義。寺山の演劇について。
夜、劇団の集まり、稽古とミーティング。今年のことを確認する。
■一月某日

No.225

 終日執筆。とはいっても夜は晩酌。仕事が夜型と想像している人も多いようだが、夜は仕事はほとんどしない。遊びの時間。特に夜中に仕事なんかしてられるかよ。
トニー・リチャードソン『ラブド・ワン』見る。
■一月某日

No.226

 講義。カストルフ、シュタイン、パイマンのことなど。
その後、新宿トップスで打ち合わせ。内容はヒ・ミ・ツ。
一日中しゃべりまくっていたようで疲れる。
癇癪館近くのリニューアルしたばかりの焼き鳥屋で一杯。
■一月某日

No.227

 終日執筆。
夜、西新宿の劇団事務所へ。周辺を散歩。中央公園でホームレスを対象にした救世軍の街頭給食が出ており、あまり目立たぬように周辺を観察しながら様々な思いに耽る。自分と彼らがほぼ同じ足場にいると考えるのは屋根がある生活をまがりなりにも出来ている者の傲慢に過ぎないか。
近くのイタメシ屋で夕食。
メルビル『マンハッタンのふたりの男』を見る。
■一月某日

No.228

 祖母の病院へ。
■一月某日

No.229

 『スマスマ』で稲垣吾郎復帰。計算され尽くした巧妙な演出。
まずドキュメンタリー・タッチで事件と遭遇したメンバーの姿を描き、事件を隠蔽しない姿勢を見せたこと。
生番組にしてわざとメンバー達の緊張の表情を露わにし、稲垣メンバー登場までの臨場感を盛り上げ、ドキュメンタリー・タッチをさらに強くさせたこと。さらにこのやり方によって稲垣メンバーの気の毒なまでの緊張ぶりを見せたこと。
稲垣メンバー登場の際、スタジオに集まった観客に一切拍手もさせず歓声を上げさせず、歓迎の雰囲気を極力消したこと。
うまいねえ、まったく。舌を巻くようなうまさだ。
■一月某日

No.230

 理工の講義。唐、土方、鈴木のことなど。理工の講義はこれで終わり。解放感。
夕刻より本格的な稽古開始。
■一月某日

No.231

 医者の友人に人間ドックの直腸検査のことを話したところ、一目見て使い込んでいると分かる菊門にたまに出くわすことがあるという。
そういえば、こんなとぼけた夢を見た。
昔通っていた中学校に行くと大島渚が蟯虫検査紙ポキールを集めている。今の若者はもうポキールを知らないかも知れないが、青色の検査紙で肛門にぺたりと貼って提出するのだ。朝これを収集するのはクラスの保健委員の役目で、委員である私は大きなビニール袋を持ってクラス中ポキールを集めて回った。私はよく保健委員になった。委員選出の際早々に保健委員に立候補してしまうのだ。そうすれば学級委員に選出されるのを免れる。学級委員なんて担任のケツに付いて年中職員室に行かなければならないような役割などまっぴらだった。
自分でいうのもなんだが、私は目立つ生徒だったようで高校の時もやたらと周囲から生徒会長とか議長に立候補しろとうるさかったが、そんなもんになったら学校の近所のスナックでタバコ吸ったり水割り飲んだり出来ないだろうと思い、嫌だ嫌だと言い続けて回避した。けっこう倫理的だったなあと今思う。不良会長というキャラクターを造形して威張ってればよかった。
そういうわけで夢では大島渚に保健委員の役割を取られてしまっていた。
東京スポーツで稲垣吾郎の記事を読む。
本当に復帰のときの光景を見ているとスマップって劇団だな。草なぎクンが吾郎ちゃんに「吾郎ちゃんいなくて僕ひとりで上の人の相手大変だったんだよ」とかいうところなんざ、ほんと劇団。臼井あたりが哀藤とか野並のことで友田あたりに言いそうな愚痴。(友田は頼りにならないけど。でも最近清田がいなくなって小娘の小判ザメも出来なくなってひとりで生きていかなくちゃという自覚が出始めている)
それに急にメンバーが抜けたときの大変さといったらない。木村クンと中居クンというリーダー格には深く共感する。
スマップはあと何年スマップとして活動するのだろうか。できれば四十代になったメンバー達による『夜空ノムコウ』を聞きたい。この歌は実はその年齢になって始めて歌う歌だと思うのだが。
その頃森クンはどうしているのだろう。
夜、大山で稽古。気張って十時を過ぎてしまう。
■一月某日

No.232

 三年間客員教授として通った早稲田、最後の講義。
この日文学部キャンパスには私の最終講義を聞く学生達で溢れ、和太鼓の演奏も行われたのだった…というのは真っ赤な嘘。淡々と終えるが学生達も最後と知っている者達もいて、お疲れさまの声をもらい、ちょっとしみじみ。デジカメで記念撮影。
その際ひとりの学生から『アリー・myラブ』におけるキャラクターとしては私はフィッシュではなくジョンだと指摘を受ける。ジョンかあ…。
いやあ三年間、本当に楽しかったし、私自身色々と勉強し収穫も多かった。三年間の講義内容を文章でまとめたいものだ。
古井戸秀夫先生をはじめ先生方、学生諸君、本当にありがとう!
まさか二十代の時、自分が大学の教壇に立つなんざ想像もしなかった。人生って不思議ね。
帰り、純ちゃんと高田馬場で飲む。私の著書『男性失格』からフェミニズムの話に及び、ひとりっこというのは家庭では男でも女でもない存在なのではないかという純ちゃんの意見に深く共感する。
ひとりっことは当然のことながら兄姉でも弟妹の役割はなく、両親を相手に息子と娘の役割を同時に担わされ、つまり両性であると同時に男性性も女性性も消失させたなにものか、ということ。
純ちゃんも私もひとりっこである。私の頃はひとりっこということでなんやかやと差別のようなものを受けたが、今の社会は今やひとりっこは普通であるようだ。
ひとりっこ社会、ひとりっこ文化といったことが論じられるかも知れない。
さらに純ちゃんによると、ひとりっこは極力引っ込み思案か、極力目立ちたがりかどちらかということらしいが、どうやら私は後者になってしまったようだ。だが、私はマッチョな目立ちたがり屋ではないという自負はある。
マッチョな目立ちたがりばかりの演劇界っていやーねっ。
『男性失格』を純ちゃんは吉祥寺の古本屋の女性問題の棚で見つけたそうだ。この本屋、いけてるぜ!
因に『男性失格』は年配の男性達、殊に団塊世代の男性編集者達にはえらく評判が悪かった。劇団の主宰者、しかもちょっと過激ふうなイメージがある集団のリーダーには世間はやはりマッチョでいてもらいたいらしい。
「かおり」という女性が「千野」という人と結婚して改姓すると「千野かおり」、すなはち「血の香り」というすごい名になるという。私は「千野うみ」という老女も知っている。まあ、どうでもいい話だけど。
■一月某日

No.233

 『笑っていいとも』を長年見ていて気づくことは、子供が出てくると基本的にタモリはすごく不愉快そうであるということだ。反対に一番いきいきとするのは音楽ネタを扱うときだ。こうしたタモリのファンである。
あゆの新しいCD買い、稽古場への道すがらウォークマンで聞く。あゆの聞き方はこのスタイルが一番。あゆの素敵さは資本主義社会で競争を余儀なくされている者の痛みと切なさを大上段でなく歌い上げるところにある。
稽古、けっこう快調。スタジオ21ヴァージョンはかなり去年のものとは改変された。
夜、帰途、寒い。「風流は寒きものなり」とはいうものの…確かに思考は寒い季節のほうが冴え渡る面もあるが、ああ、私には地中海の太陽が必要だ、まだいったことないけど。
■一月某日

No.234

 新日のプロレスラー武藤敬司が全日に移籍のニュース。プロレス界の移籍、引き抜き騒動は忘れたころにやってくる。新日の問題は今の幹部連中の頭の中身だろう。藤波は頭悪そうだし、長州って文字通り、ごりごりのマッチョに見える。蝶野に社長やらせろよ。
夜、稽古。
■一月某日

No.235

 吉村、稽古に四十分遅れる。珍しいことなので心配する。しかも稽古場にかけてきた電話では理由を言わなかったらしい。事故か病気か家庭の事情か。
現れたので聞くと途中の電車で財布を無くしたということだ。スリじゃねえかと言うと、その可能性もあるらしい。旦那を呼んで金をもらったということだ。
この世で財布を無くすことぐらい寂しいことはない。
スリと言えば数年前、一緒に歩いていた編集者が財布をすられた。彼は飲んで勘定を払うというときに財布がないことに気が付き、パニックに陥り、酒場の床を這いずり回り、何を考えたのか私の鞄までチェックしたが、見つからない。一週間後、送り主が『新宿の山田』と書かれた封筒で紙幣だけを抜いた財布が送り届けられたという。そこでスリに遭ったのが確認できたのだが、その瞬間を想像できた。新宿、靖国通りで確かに彼にぶつかるようにしてすれ違った男がいたのだ。それにしても免許証、カードの類いは返って来たわけで、良心的なスリがいたものだ。
この日、二回通し、撮影もして、ぐったり疲れる。
■一月某日

No.236

 テレビを見ていたら、みのもんたが突然アシスタントの高橋佳代子にディープキスし、「なんでいけないんですか!なんでいけないんですか!」とカメラに向かって訴え、騒然とするスタジオを尻目に再びディープキスを始める…という夢を見た。
昼、執筆。
稽古前、突然吉野家の牛丼が食べたくなり、高田馬場店に入る。隣の太ったオヤジはやたらに親切で箸箱に手が届かない女子学生風に箸を取って上げたりしている。そのオヤジが勘定を払わずに去った。オヤジを挟んだ隣の学生風の若者も気づき、店員も気づいたようなのだが、そのときはオヤジはちょうどドアを出たところで、うら若き女性店員は何も声を掛けられない。その自然な態度は見事な食い逃げとも思ったが、本当に勘定を忘れていたのかも知れない、と思うのは十数年前私は歌舞伎町の吉野家で考え事をしながら牛丼を食べていてすっかりただ食いをしたことがあるからなのだ。はっと気が付いたときはもう西武新宿線の駅の近くで、まあいいやと思って戻らなかった。しかも同じ牛丼の松屋が前払いチケット制を取っているので、消費者は混乱する。
しかしどうもオヤジは確信犯であったような気もしてきた。どこかセコイ風情が滲み出ていたし、あの妙な親切さがどうもなあ。
これも十数年前のことだが、新宿のションベン横町の食堂でも食い逃げを目撃したことがある。その時もオヤジだった。さすがション横の店員だけあって、気が付くと「野郎!」と飛び出して行ったが、すぐに「取り逃がした」と返って来た。
「オヤジ、絶対くい逃げだぜ。若いやつだったらどうも忘れちゃってとか戻るに決まってんもんな」とか、よく考えると辻褄の合わないことを店員どうししゃべり合っていた。
■一月某日

No.237

 HP用の劇団員の日記が始まった。他にも新しい記事があるので、みんな見てね。
昼執筆。夜稽古。
■一月某日

No.238

 早稲田で卒論の口述試験。
夜稽古。
アフガン復興会議で来日しているカルザイ議長を見ていると会議の後、外務省の役人の接待で連れて行かれた吉原の高級ソープで「グレート、オー、グレート」とか悶えている図を想像させる。
カルザイ議長といえばテレビで演説の光景を見ていた折り、「我々に今必要なのは現金なのです」とその後のCMが「♪はじめてのアコムー」だったのには笑った。狙ってたんじゃねえのか。
■一月某日

No.239

 夜稽古帰りの駅構内で異様な物体を前方に発見する。すれ違った茶髪も思わず立ち止まって振り返り、「歩くカマクラか」と呟いている。物体は真っ白く巨大なのだ。正体は新しいコートを自慢げに着た哀藤誠司なのだった。異様に白く、目立つ。
■一月某日

No.240

 中野の美容院へ。ブロードウエイの側の平凡ラーメンを久しぶりに食べる。このラーメン屋は数年前中野に住んでいた時の常連で、平凡とは粋なネーミングだ。本当に平凡なんだけどおいしい。やはりテレビの取材申し込みとかも来るらしいが、オヤジが断固拒否しているという噂は同じ中野の常連だったモツ焼きや金亀の常連宅配店員の鈴木さんから聞いたのだ。鈴木さんによると、今のオヤジは二代目で彼が学生時代、平凡の味に惚れて当時の一代目に土下座して秘伝の味を伝授され、継いでいるという。
それにしても東村山にはイーストビレッジという商店街があって、東京はブロードウエイもあるし、他にタイムズスクエアもあるし、ニューヨーク気分味わえてサイコー、ねっ。
夜稽古。

No.241〜260 バックナンバー 最新

©2002,Tfactory Inc. All Rights Reserved.