42歳の私は未だふらふらとしている。
落ち着きがなく、瞬間湯沸かし器の気味もある。
だからこの日記を彷徨亭日乗と呼び、東村山の
住まいを癇癪館と名付ける。
こういった人間である。

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■一月某日

No.241

 劇団員の第二回目の日記の原稿を見る。ほとんど野並特集じゃねえか。
稽古後、大山の鏑屋でホッピーともつ煮込み中辛。
■一月某日

No.242

 田中真紀子、外相更迭のニュース。自分が小泉の立場だったら同じことをしただろうというのが、最初の感想だったが、世間はどうやら違うらしい。真紀子の人気には疑問を覚える。鑑みるに私は日本で人気のあるものほとんどに疑問を感じている。
あゆ以外は。
■一月某日

No.243

 稽古終了。
大事はなかったものの、相変わらず鬼と化していただろう、多分。
■二月三日

No.244

 夕刻京都入り。思っていたよりは寒くない。
劇場で記録用ビデオの打ち合わせ。その後ホテルでヴァイオの接続をしようとするもままならず大格闘。ぐったり疲れ、ぐっすり眠る。
■二月四日

No.245

 春秋座で稽古。スタジオ21でビデオの撮りなおし。その間も楽屋の電話でヴァイオと格闘するもままならず、ふと楽屋の電話で外線が繋がるわけがなかろうと声に出すと、臼井がなぜか自信ありげに「事務所の人は繋がるというとりました」と言うのでさらにいじるが、駄目。稽古終了後、この電話で外線をかけようとするが、繋がらない。臼井を信じた私が馬鹿だった。
そういうわけで今日もぐったり疲れて眠る。役者連中は飲みに出ているが、私はひきこもり。読まなければならないものもたくさん持ってきているのだが、進まない。
■二月五日

No.246

 スタジオ21の場当たり、ゲネ二回。
■二月六日

No.247

 確かにNGO問題での更迭は意味不明のところ大だが、リーダーとして有能であるのか。引き続き田中真紀子問題について考える。楽屋にあったアエラではこれを女性問題と連動させていた、つまり真紀子は男性社会の犠牲者であり、外相新任の川口は都合の良い女性なのだといった論調だが、果たしてそうだろうか、私にはどうしても田中真紀子が有能だとは思えない。確かに永田町のいわゆるオヤジどもはどうしようもないほどのオヤジに違いない。基本的に55歳以上、特に男が絶滅してくれないとこの国は変わらないというのが私の密かな暴論だ。しかし田中真紀子問題はジェンダー云々ではなく、単純に彼女が政治家として下手糞ということではないだろうか。矛盾するようだが、今の日本社会で生きていくにはオヤジたちのコモンセンスと渡り合う技量が必要だ。巷間伝えられているようなスマートさを私は田中氏から感じられないのだが。批判はこれぐらいにしとこうっと。これからどこかでお会いしたりすることもあるかもしれないからね。それに私どもも風評や記事で判断しているに過ぎないわけだしな。私自身噂の嘘度には随分とひどい目に合っているからね。
終日春秋座の明かり作り。     
染の助染太郎の染太郎のほうが死去したと知る。
ホテルではネット接続が不可能とやっと判明し、大学でメールチェック。
まっすぐホテルに帰っています。劇団員とはあまり飲まないのよ、あたし。なぜって別に本番の最中には別に話すこともないから。必要なことはすべて稽古のとき言う。俳優とやたら飲む演出家はだめ、自信の無さの表れね。でも劇作家は飲んでいいのだ。
■二月七日

No.248

 照明の大野、かつて劇団員であった彼女だが、相変わらず声がでかい。平井としゃべっていると大野がひとりごとを言っているように見える。まあ人のことは言えないが。私と加藤ちかと大野が話していると三人で怒鳴りあっているように聞こえるという。
春秋座、一回目のゲネ。大いにダメだし。特に永野。とみに若い頃の哀藤の芝居に似てきている。がなりの発散型ナルシズム。宮島さんもほんとにこの人、初演から「ニッポン・ウォーズ」出ているのだけど進歩がない。どうしても量の多い早い台詞に慌ててしまう。小心なのだ。この人はほんと味と人柄で勝負の俳優さんね。いい人ですよ、皆さん、使ってください。というと物扱いだけど、俳優になろうなんて人は自分のことを所詮物、道具ぐらいに思える人じゃないと大成はしない。演じるのは常に自分なんて俳優とは付き合いたくもない。
帰途、地ビールとラム飲む。
■二月八日

No.249

 笠木が吉村を黙々と襲っている夢を見る。吉村は「乳首が取れちゃう」と抵抗している。前の日楽屋で笠木が沢田亜矢子の前夫ゴージャス松野に似ているなんて話をしていたせいだろうか。
旅はただ忙しいわけではない。普段より数時間も早い朝食の食後のコーヒーを飲み冬の陽光に身を浸していると、昔の映像が不意に甦ってくる。もう親交のなくなった人の後姿。鈴木忠志氏の後姿。パリの路上。モンマルトル。彼はピガールのホテルにいて、私はサンジェルマン方面なのでタクシーに乗った。タクシーはいったん方向転換して路地を抜け、石畳を走り、無防備な鈴木氏の後姿が窓から見えた。痛く寂しげだったその後姿。いや、しかし鈴木氏はこちらの視線を計算していたのかも知れない。
今日はホテル移動。10時チェックアウト。午後のゲネまで時間があるので近くのスターバックでこの日記を書いている。隣のネクタイ男が、脅されたらこう言えとか、それは犯罪行為だからとか携帯でしゃべっている。暖かい。
宮本研を読む。
春秋座のゲネ一回目2時、二回目5時半。空間に慣れてきて次第に良くなっていく。伊沢と野並がやたら上手に見える。しかし大空間で見ると俳優たちの動きは鈍い。ジャニーズのような溌剌さが欲しいのだが、どうしてもたけし軍団である。ほとんどが30代で酒太りしている。それもそれで感動的ではあるけれど。
ホテルの寿司屋で熱燗を飲み寿司食って寝る。明日は本番。不安はなし。後は俳優たちのお仕事。
■二月九日

No.250

 思ったほど寒くはない日々。午前中スタジオの稽古。
二時、春秋座本番。お決まりの宮島の初日台詞とちり。小心者。
ほり、ぼんやりとして台詞とちり。おとぼけ者。
ニューヨークからポーラ見に来る。ニューヨークでの再会を約束する。スタジオ版を見られないのは残念。
六時スタジオ21。いい出来である。東京公演より数段いい。役者も映像もミス無し。
終演後、初日の乾杯。色々な人たちがいる。太田氏宅で泡盛をがぶがぶやる。白鳥になった鴻氏、例のごとく絶好調。ほとんど新宿風花飲み。酔ってホテルに帰り、どっと潰れる。
■二月十日

No.251

 やや酒が残っている。2時春秋座。途中で出ると雪が降っている。舞台は昨日よりいい出来。
雪はすぐにやんだようだ。シンポジウムに出席を願った写真家の金村修氏、ダムタイプの高谷夫妻がいらっしゃる。
6時、スタジオ21。高谷夫妻に挨拶。京都のこの地でこの人たちに会えたのは実にうれしい。二本見終えた金村氏の感想。「いやあ、人間ってのは色々な動きができるもんなんですねえ」
構内で飲み、コンビニでうどん買って帰る。ホテルでうどん食べる。
映画が見たい。「地獄の黙示録」、「わさび」、「オーシャンズ11」そして何よりリヴェットの新作!
■二月十一日

No.252

 ホテル、チェックアウト。大学近くの「天下一品」でこってりラーメン食べる。
2時、スタジオ21公演。3時半シンポジウム。八角氏、小林昌弘氏、森山直人氏、金村修氏。戦争、映画。演劇について。森山氏を抜かしてみんな同世代なのでまことに楽しいシンポジウムでした。シンポジウム後、ピーターと三月のメルボルン行きについて打ち合わせ。
スタジオばらした後、こだまで浜松に移動。京都は、雪がちらつきだし寒い。9時頃、浜松着。ホテルの近所で寿司食べる。9年ぶりの浜松。「タイタスの肉屋」以来である。
■二月十二日

No.253

 仕込み、明かり作り。その最中近くの本屋で話題のミスター高橋の「流血の魔術・最強の演技」を買い、一気に読み終える。面白い。しかしこんなことでプロレスファンは驚きもしないし、落胆もしないだろう。誰もが想像できていたことを確認するまでのことだ。もっともホーガン戦の失神が猪木の自作自演だったというのは驚きの情報ではあるが。しかし、それが暴露されたとしても、ぼくたちのかつての興奮と夢はなんだったんだ!とかナイーヴにわめく輩は最初からプロレスには近づかないことだ。プロレスとはそうしたものだ。世間の縮図なのだ。だから面白いのだ。子供じみた大人の世界。大人の世界、世間というやつは子供じみているのだ。そのことを理解するために青少年はプロレスを見るべし。
楽屋で宮島とこの本について語り合う。かつて宮島とよくプロレス会場に足を運んだ。その後お互い興奮していたのか浅草の神谷バーでたらふくデンキブラン飲んで路上で殴り合いをした。ちょうど交番の前でおまわりが「見えないところでやってよ」と困った顔でいった。それで一挙に白けて、喧嘩をやめてまた飲んだ。まだ20代のころね。
四時半から舞台稽古。7時本番。なかなか出来よし。客席には京都ではなかった笑い声が起こり、それに戸惑ったのか、宮島台詞をとちる。
今回の公演を通じて良かったのは伊沢と野並。このふたりは大劇場に対応しきれていた。ほりはまだ駄目。終わったという感慨がしみじみする。何かがこれで確実に終わった。私も劇団員ももう若くはない。
近くの飲み屋で打ち上げ。今回の公演を主催してくれた榊原さんの見事な打ち上げのメニュー選択。
■二月十三日

No.254

 帰京。知的欲求が高まって、新宿に寄り、tsutayaでビデオを借り、紀伊国屋で映画の本を二冊買ってしまう。立川談志全集にも食指が動いたが我慢する。
癇癪舘でビデオを見ようとするも睡魔で挫折。
「東京にすんでいるのになぜか山本カンサイ」という東スポのデイブ・スペクターのコラムのジョークがなぜか心に残ってしまう。
■二月某日

No.255

 新宿で色々な雑用を済ませる。
「家族ぐるみのおつきあい」というフレーズを読んだり聞いたりすると、げんなりする。自分は絶対できないことだと思う。なにをしゃべればいいの、そういうときって?スワッピングというならわかるけれど。酒飲んで寝る。いいことなし。
■二月某日

No.256

 パリのテアトルウヴェールに頼まれた原稿を書く。その他色々とやるべきことが溜まっているのだが、旅の疲れはすぐには取れず。癇癪舘でぐだぐだと。
久しぶりに通っている耳鼻科に行くと隣の家が全焼しており、耳鼻科の外観は無事に見えるものの、なかは被害があったらしく休診である。12日の夜のことだと通行人から聞く。
ソルトレイク・オリンピック、日本全然駄目じゃねえかよ。「よく入賞を果たし」なんて要するにメダル取れてないんじゃん。サッカーのときも「ドーハの悲劇」とか言っちゃって日本人ってやさしいよなあ。「ドーハの悲劇」ってどこが悲劇なんだよ。悲劇ってのは何か理不尽な力が働いて起きることを言うんだよ。例えば日本が勝っていたのに突如テロリストが乱入してそのせいで試合に負けたとか。ただ弱くて負けたもののどこが悲劇なんだよ。
ラングの「暗黒街の弾痕」、フレンチ・フィルム・ノワール「凶悪犯」を見る。
■二月某日

No.257

 久しぶりに書斎の机を前にする。執筆。徐々に作家モードにしていかなければ。
■二月某日

No.258

 執筆。英語版「ハムレットクローン」を一部変える作業。
夕刻国分寺ラドン温泉。出てから串焼きや「いしい」へ。ここのもつ焼きはおいしゅうございます。
ラドンが効いたせいかぐっすり眠る。
■二月某日

No.259

 二十数年ぶりにコスタ・ガブラスの「Z」、「告白」を見る。確か中三のとき池袋文芸座で見て、大いに興奮したものだ。
くたびれて0時に就寝。
■二月某日

No.260

 執筆。
新宿・歌舞伎町徘徊。ああ、「地獄の黙示録」が見たい。キャバクラの前の酒屋でティオペペを買う。960円と安い。帰宅して久しぶりにティオペペを飲みつつJAZZに身を沈める。

No.261〜280 バックナンバー

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