彷徨亭日乗〜川村毅の日記〜

川村毅
彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。
■十月某日
No.1786

チャールズ・ロートンの唯一の監督作品、噂の『狩人の夜』を見る。

なるほど、怖い映画だ。公開当時、アメリカでは上映禁止の州があったというのもどこか理解できるし、今となっては禁止措置はこの映画にとって名誉なのではないか。

依頼された一件の原稿、まるで書く気が起こらず。八十年代演劇についてのことなのだが、考えてみると、まだそんなこと生臭くて書けやしない。書けば書いたで損するに決まっている。書くのやめたいんですけど、演出家協会の出版部のみなさん。どうしよう。

■十月某日
No.1787

ソクーロフの『太陽』を見る。

まあ、なんだってこともない。いまさら昭和天皇の神から人間への移行時を見せられたところで、戦後生まれで人間としての天皇しか知らない世代にとって、だからなんだといいたい。

■十月某日
No.1788

どうも秋の花粉かなんかアレルギーで調子が悪いので、皮膚科で何に対して私はアレルギーを起こすのか、この際、血液検査で調べてもらうことにする。

アレルギーを抑止する飲み薬でぼんやりしつつ、京都入り。

松田君と会って話す。松田君と話しているとほんっと作家と話していると感じる。こう感じられる人は劇作家と呼ばれる人の中でそうそういるものではない。

松田君は今から『太陽』を見るのだという。

『神馬』で万願寺のとうがらし、鱧の柳川、青森産のぶり、鯖寿司などを堪能する。もうすべて美味しいんだけど、今回は殊にぶりが絶品。お口でとろけた。

神馬のみなさん、今夜もおいしいもの、ありがとう!

■十月某日
No.1789

編入試験。

来期映画学科の学科長、カイゾー氏らと、この一年間の学科改編を巡るつらさについて語り、やっとここまできたなあとお互い労をねぎらう。

特に夏はつらかったと来期から副学科長になる森山とは肩を抱いて泣き合う。

来期からの舞台芸術学科、映画学科、気合い入ってまっせ!

日本シリーズ、中日vs日ハム。大沢監督時代、応援していた縁で今回は日ハム派となる。日ハム敗れる。やはりヒルマン監督の名前がよくなかった。ナイターだからヨルマンじゃないとね。

■十月某日
No.1790

休日。吉祥寺に遊びに行く。が、なんか頭がふらふらする。

今夜は日ハム勝つ。しっかしおもしろいぞ、このシリーズ。

■十月某日
No.1791

『黒いぬ』のゲラ直して、鐘下ガジラの『わが闘争』に行く。アフタートークを頼まれているからである。終演後、勝也さんにも参加してもらっていろいろしゃべる。っちゅうか、なんか意味のないことしゃべり過ぎたな、おれ。っていっつも意味のないことばかりだけど。

みんなして居酒屋に行く。そこで明大劇研の先輩、高田恵篤氏と昔話などして大盛り上がり。

私がいたころの明治劇研って今思い起こすといろいろな人がいたのよ。

この恵篤さんに柴田理恵とか。あと一年下に有薗とか深浦とか。そういえば宮島健も先輩でいたんだ。宮島は劇研時代のほうが演技がうまかった。

おりを見てこの頃の劇研について文章書こうと思ってる。

もう、恵篤と大笑いの二時間で、さぞかし変なおじさんたちだったと思う。

しっかし、恵篤、もうすぐ50だってのに若いね。

芝居のなかでは、急に「おれはダンサーになりたい、暗黒舞踏!」って恵篤の台詞に私、大笑いしてしまったけど。

それで、あそこ笑ってと恵篤に言ったら、「ひとが真剣にやってんのにい」って本気で怒ってた。

しっかし、恵篤、まだまだ不良だよ。そばにいるとまだ獣の匂いがする。

■十月某日
No.1792

ガスのCMで小劇場風の稽古場シーンを舞台にしているのがあって、黒のトックリセーターを着た、やたら大声興奮症らしき演出家ってのが出てくるが、ほんっと、ああいうのが演出で、ああいうのが小劇場の稽古場と思われると困ってしまう。

ちなみに言っておくと、この手の演出家ってのは、いないことはないんだけど、才能ないほうね。

アメリカ・ワシントン州で飼い犬と性交していた男が妻に見つかって、動物虐待で逮捕されたというが、東スポの記事で「範囲の広い浮気」には笑ったというか、笑えないというか。ちなみに記事では牡馬の性器を肛門に挿入して直腸破裂して死んだ男のことも載っていたがほんとかね。

『ブラック・ダリア』を見るががっかり。デ・パルマとエルロイのコラボに大いに期待したのだが、どうもこの監督は物語をやろうとすると妙に生真面目さが出てしまって映画がスイングしない。要するに監督は伝説の死体ブラック・ダリアの表象にこそ興味があるのは見え見えなのだから、それを中心にして一気に違うストーリーをはちゃめちゃに展開すればよかったのに。なんかフィルム・ノワールの正統をやろうとして硬くなっちゃってんだよな。

■十月某日
No.1793

なんか皮膚がかゆいので皮膚科で血液からアレルギー反応の検査をしてもらったところ、もうスギ、ヨモギはもちろんのこと、秋のブタクサ、ハウスダスト、ダニとあらゆるものにアレルギー反応があることが判明。なかには私の好物の食べ物にまであるのだった。

しかし、まあそういう体だということがわかったことが重要なのであって、別に気にしない。反応がある食べ物も食べるし、森にだって散歩に行く。こんなことを気にしていては生活がつまらない。要するに、がんがん気にしないで抗体をつくっちまえばいいんだろ。

京都入り。会議。

会議後、帰京。新幹線のなかで名古屋弁の夫婦が大声を上げる。日ハムがリードしているという速報が電光掲示板に流れたのである。

とおよそ一時間後、日ハム優勝の報が携帯に入ってくる。

■十月某日
No.1794

神保町で編集会議。

その後、『戦争と平和』の新訳六巻など買う。

赤坂見附の焼肉店で親類の男たちと会食。いろいろしやべって実に楽しかった。親戚同士でも男たちとたまに会ってしゃべらないといかんのじゃないかということだ。

なぜなら女たちことに母たちの話す家庭の事情には必ずといっていいほど本人たちの脚色が大いに為されているからだ。ほろ酔いで帰る。

■十月某日
No.1795

世田谷でベケットのリーディング二本見る。

■十月某日
No.1796

『スケバン刑事』を見る。

あややががんばってんだから、脚本、監督はもうちょっとがんばってくれっちゅうか、ハリウッドがスーパーマンとかスパイダーマンとかを今映画化するときは相当頭しぼってるんだから、もうちょい、今のスケバン刑事像に汗かいて欲しいな。

そういうわけで、彷徨亭日乗を愛読してくださってるみなさーん、ちょいとホームの引越しなどがあるのでここで彷徨亭いったん小休止します。近々装いも新たに再出発しますので、お楽しみに! さて、どこに彷徨亭が出現するか、注意深くいろいろ見張っててね。

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