41歳の私は未だふらふらとしている。
落ち着きがなく、瞬間湯沸かし器の気味もある。
だからこの日記を彷徨亭日乗と呼び、東村山の
住まいを癇癪館と名付ける。
こういった人間である。

No.121〜140 バックナンバー 最新

■九月某日

No.101

 すっかり秋の趣である。
銀座のヘラルド試写室へ。パトリス・シェローの『インティマシー』。エレベーターで試写会場に向かう四方田犬彦氏とばったり会う。
夜、新宿トップスで『くぐつ草紙』の舞台美術打ち合わせ。
その後、歌舞伎町の爆発事故現場に向かう。現場のビルの真ん前のドトールコーヒーは私の行きつけである。
『新宿八犬伝』の構想を練る。
■九月某日

No.102

 涼しい。父の命日。七年前、66の誕生日の前日、父は逝った。あの年の今日は猛暑だった。
■九月某日

No.103

 秋の気候。紀伊国屋書店に依頼していた映画監督のビデオシリーズを取りに行く。キューブリック、フェリーニ、ビスコンティ、パゾリーニといった面々。お目当てはパゾリーニ。
高田馬場、揚子江で当HPのとりあえずの打ち上げ。HPを担当してくださっている放浪の遊び人に感謝。清田と吉村、野生の肉食獣のように食らう。その勢いに押されてか、笠木、食が細く、一言も発しない。私は逆に影響されてデザートのアイス杏仁豆腐まで食べてしまう。話題はもっぱら歌舞伎町の爆発。帰宅してしみじみする。
■九月某日

No.104

 午前中、新野さんからフォルクスビューネの芸術監督フランク・カストルフの上演ビデオ『時計じかけのオレンジ』が届き、すぐに見る。
午後、パゾリーニのビデオ見る。パゾリーニ惨殺の謎に迫っていてまあまあ面白い。パゾリーニのフリウリ時代からの友人、画家のジュゼッペ・ツィガーナがその死を自ら招き、半ば演出したものと語る。ゲイのナルシズムとして三島と通じる死ということである。陳腐といえば陳腐な解釈ではある。
夜、ジョゼ・ジョバンニの『ベラクルスの男』を見る。
■九月某日

No.105

 日曜。昼間、ジャン・ギャバン主演のフィルムノワール『赤い灯をつけるな』を見る。
夕方から国分寺のラドン温泉に行く。じんわり疲れを取る。マッサージで体がへろへろになる。
台風が近づいていて湿気の多い暑さ。すでに何もやる気が起きない。
■九月某日

No.106

 台風、関東直撃。起きると外は天然シャワー状態。湿気のために体はだるく、テレビのリモコン、電話の留守録が作動しなくなる。
如月小春についての原稿にとりかかる。
夕刻雨止む。湿気のため体がだるくて仕方なく新野さんの三茶のレクチャーに行く予定をキャンセルする。一歩も外には出ず。
夕刻より『去年の夏、突然に』を見る。製作サム・スピーゲル、監督ジョセフ・L・マンキウッツ、原作テネシー・ウィリアムズ。脚本ゴア・ヴィダル、出演エリザベス・ティラー、モンゴメリー・クリフト、キャサリン・ヘップバーン。はあ、こうして書いているだけでも疲れてため息が出るほどの超重量級、濃厚な連中。
エリザベス・ティラーの白い水着のいやらしさ、モンゴメリー・クリフトのゲイだけが持つ眼差し、もっともこの映画での役割はゲイではないが、モンティのこの眼差しがあるからこそ成立するテネシー・ウィリアムズのゲイ世界の独壇場、精神病的変態映画。リズの豊満な肢体とキャサリン・ヘップバーンの細かい演技が彩りを添える。この映画のリズ、大好き!病的な女、大好き!現実につきあうのは嫌だけど。
その後『愛の貧乏脱出大作戦』にチャンネルを合わせるが、つまらないので途中でやめる。
■九月某日(11日)

No.107

 如月小春の原稿を上げる。
夕刻より癇癪館近くの銭湯に行き、サウナに入る。
帰宅してディック・リチャーズ監督の『さらば愛しき人よ』を見る。これも『去年の夏、突然に』と同様、少年期に見て以来の再見である。言うまでもないが原作チャンドラー、フィリップ・マーロウを演じるのはロバート・ミッチャム。犯人の女にシャーロット・ランプリング。大好きなふたり、ミッチャムのスリーピーアイ、ランプリングの細い肢体、大好き!
見終えてチャンネルを10に合わせると高層ビルの光景。緊急ニュースの気配。直後ツインタワーに二機目の飛行機が直撃。一切音の無い映像。そのまま画面に見入る。
ニューヨークの貿易センタービルに二機の旅客機が激突。
ツインタワーが倒壊する時、じっとモニターを見入っていたせいもあろうが、動悸と発汗、目眩に襲われる。 
歌舞伎町の爆発が『新宿八犬伝』の世界なら、これは間違いなく上演を終えたばかりの『ニッポン・ウォーズ』。
「戦争」という一語の今の時代のリアリティを訴えたばかりのこの事態。
ニューヨークの友人知人達の顔を思い浮かべる。
思考停止。
テレビはやがてテロを伝える。
興奮状態で眠れず。
■九月某日

No.108

 ぶり返された暑さ。インディアン・サマー。この語感が好きだ。勅使河原宏の映画にこれをタイトルにしたものがある。確か沖縄の脱走米兵のストーリーだった。『砂の女』は肩に力が入り過ぎていて好きではない。李礼仙も出ていた『インディアン・サマー』のほうがいい。
京都へ。京都造形芸術大学の映像研究室へ。CG作成の手習い。終日マックのディスプレイの前。
夜、祇園で山椒うなぎ茶漬けを食べる。美味い。酒が進む。夜の祇園を散策する。この上品なよそよそしさ。ほどよく時間の停止が演出された小路。
ホテルに戻りニューヨーク情報に耳を傾ける。
■九月某日

No.109

 終日研究室でCGと格闘。
夜、先斗町の納涼床で懐石料理。べたな京都観光ではある。次々に出て来る料理。酔眼で鴨川の向こうに見える南座を眺め、旅客機が激突する光景を想像する。 
今回ホテル側の修道院から叡山電鉄に初めて乗車する。昔の都電のような風情で調子がいい。
■九月某日

No.110

 東京より『ニッポン・ウォーズ』のスタッフがやってきて大学で合流する。二月の春秋座、スタジオ21公演のための下見である。加藤ちか、例によってバカ元気。
午後、雨が降り始める。
京都駅で食事することになる。駅のこの長いエスカレーターは一体どうしたコンセプトなのだろう、天国への階段とでもいうつもりか。間違えた高過ぎる建物を作ってしまったような印象を受ける。
天国に上り、ひつまぶしを食べる。三日続けて鰻を食したことになる。
新幹線で帰京。
■九月某日

No.111

 敬老の日なので一人暮らしの祖母に電話をする。従兄弟が来ているということだ。
ニューヨークに一斉にメールを送る。すぐにNYUのキャロルから返信が来る。自分も娘も旦那も無事とのこと。旦那はリチャード・シェクナーである。
ポーラからも返信。なんと彼女はテロの前日から東京に来ていて、予定した日に帰れず、滞日を続けているのだという。異国の地で見た映像にはさぞかし仰天しただろう。
ビデオで1968年のオリジナルの『猿の惑星』を見る。チャールトン・ヘストンが出ているやつ。チャールトン・ヘストンが猿に見える。当時は大作として見ていたが今見ると素朴な作りで、B級テイストが存分に醸し出されているのが感じられ、それがとても良い。
夜のニュース。ブッシュが容疑者をラディンと特定し、戦争を宣言する。世界戦争勃発か、ヴェトナムの泥沼の悪夢の再現か。
NYUのアーサー・バルトゥーからもメールが届く。これでアメリカは変わってしまうだろうと書かれている。NYUは金曜に開校されたものの学生達はほとんど帰郷してしまって大学内は閑散としているという。学生のなかでテロに巻き込まれている者がいるかどうかはまだ不明。
ニューヨーカー達は極めて冷静で不明者の登録もパニックにはならず、皆静かに献血の列に並んでいるという。
このことはすごくよくわかる。ニューヨークという都市は本当に成熟した大人の街だ。だから私はこの街が好きだ。ニュースでは、「いつもは他人に無関心のニューヨーカーですが」みたいな陳腐な言い方をしているが、何も知らない、エイズという黙示録を経過したマンハッタン島は巨大な下町のようなものなのだ。つまり、過剰にべたべたせず、人と人との適度な距離を知った大人の街なのだ。
■九月某日

No.112

 どうやらニューヨークの友人達は皆無事であるようだ。ビジネスマンがいないせいだろう。あの時間にウォール街を歩くアーティストはまずいまい。
ビデオで『続・猿の惑星』を見る。
■九月某日

No.113

 午前中、唐十郎氏から電話がある。
午後、早稲田の研究室に行く。ポーラに電話。旅客機のチケットが取れてやっと明日帰れるという。これからちょいと大変だという。
新宿でティム・バートン版の『猿の惑星』を見る。メイクの技術の発達のせいか猿のヒロイン、アリが可愛く見える。これは未確認だが猿の名前はすべてアラブ系ではないだろうか!
歌舞伎町の爆発現場に寄る。路上に張られたテントの規模が狭まっている。テロでこちらの事件がかすんでしまった感がある。私は忘れたくはない。
■九月某日

No.114

 結城座『くぐつ草紙』の稽古が始まる。夜まで。みんなで食べる座員の賄いによる夕食はビーフシチュー。
ニューヨークのACC本部のセシリーからメールが届く。これで友人知人全員の無事が確認できた。セシリーのアパートは世界貿易センターから8ブロック歩いたところにあった、電話も止まり、不便だが昨日まで非難していたミッドタウンから戻ったという。
―私達は皆無事だが、街はもう二度と前のようには戻らないだろう。
重い。90年代に獲得されたマンハッタンの派手やかな、はしゃいだ街角がほぼ永久に消されたのだ。
■九月某日

No.115

 昼から晩まで稽古。夕食はちらし寿司。夕食後の稽古は眠い。
■九月某日

No.116

 まだ三日目であるのに一週間ほど通過したかのように思える中身の濃い稽古が夜まで続けられる。そうしているのは私本人なのだが。
夕食は今日はおでん。
■九月某日

No.117

 午前中、テレビでアメリカ議会におけるブッシュの演説を聞く。開戦宣言。凡人のナルシシズムは非常に不愉快。世界を自国とテロリスト側に二分する傲慢さ。マッチョはいつも自分中心で敵味方を分ける。
稽古。夜、吉祥寺の喫茶店で唐氏と待ち合わせる。唐氏『ジョンシルバー』の挿入歌を歌う。用事を終え、阿佐ケ谷の『かめや』で飲む。色々しゃべる。次に『ランボウ』。ふたりで大いに酔う。唐氏、私の腕、肩を噛むので、噛み返す。いたたたたた!なにすんだよ、たけし!
帰りの西武線でゲロを吐く若者と隣り合わせになる。こっちも酔っているのであまり気にならないが、臭いが嫌なので口呼吸で逃れる。しゃがんでゲーゲー、鞄に吐いている。どこまで行くのかと尋ねると小平と答える。それなら後少しだから頑張れと激励する。会話を聞いていたらしいオッサンが胃薬ありますよと言う。今から飲んでももう遅いってーの。
■九月某日

No.118

 稽古。夕食は炊き込みご飯。南瓜、里芋。
夜になると寒い。
■九月某日

No.119

 稽古。夕食はキャベツとソーセージの入ったスープ、マカロニサラダ。本当に秋を通り越して寒い。
■九月某日

No.120

 秋晴れ。ちょうどいい気温。洗濯をする。稽古。夕食は卵焼き、豚肉のしょうが焼きなどなど。

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