41歳の私は未だふらふらとしている。
落ち着きがなく、瞬間湯沸かし器の気味もある。
だからこの日記を彷徨亭日乗と呼び、東村山の
住まいを癇癪館と名付ける。
こういった人間である。
No.041〜060 バックナンバー 最新
■六月某日

No.021

 昼間、新宿、事務所の側の喫茶店でシンジケートふたりと密談。
夜、世田谷パプリックシアターでピーター・ブルック演出『ハムレットの悲劇』を見る。昨日の解体社に続いて二日連続の観劇。翌週から毎日稽古だから今のうちに見れるものは見ておこうという算段。
巨匠の仕事。二時間半休憩なしにたいそう疲れる。客席にはちらほら知った顔が見受けられたが、くたびれて誰とも会話を交わしたくなく、終演後とっとと帰る。
■六月某日

No.022

 日曜日。戸板康二氏の書いたものに『ちょっといい話』という人気連載があった。演劇人、俳優達の人柄が滲み出る挿話や言葉を紹介しているものだが、『ちょっとやな話』といって人の悪口ばかり書くという連載はどうだろう、誰が適任だろう、『せりふの時代』で誰かやらないかな、などと終日どうでもいいことを考える。
■六月某日

No.023

 稽古。劇団員達の稽古場日誌も始まったことだし、内容が被るので私は稽古場のことはあまり書くまい。
ところで友田の稽古場日誌、俺のこの日記のテイストの真似してねえか、まあいいけどよお。
でも友田よお、稽古場でならゲロ吐いたっていいんだぜ。俺が言ったのはあくまで本番の舞台で吐くやつは許せねえってことだからよお。稽古場ゲロ吐き男といって劇団の伝説にはなる。
ゲロと言えば自作のAVにやたらゲロを吐く男を登場させていたバクシーシ山下氏に以前その真意を聞いたところ、ゲロというのは自分にとってアクションシーンなのだと答えた。
本当にそう思う。宴の最中、前触れなくゲロを吐かれるといきなり銃をぶっぱなされたような衝撃を覚える。
ゲロと言えば伊沢だ。前に大阪公演での打ち上げの二次会、10数人で和気あいあいと飲んでいたところ、それまで寝ていた伊沢がやおら立ち上がったと思うと、げろげろげろげろげろげろげろ!
ああいうときの驚きとショックといったらない。友田なんか泡食って思わず被っていた野球帽を伊沢の顔の前に差し出したのだが、その帽子がなんと網目だった。
バカヤロウ!ゲロこしてどうすんだよ!
帽子がまた変な野球帽で正面に『空』とか一文字入ってて、友田のお気に入りだったらしく、翌日見たら洗って被ってやがんの。
■六月某日

No.024

 第三エロチカ研究のために日本に滞在しており、解体社にもパフォーマーとして参加していたオーストラリア人アダムが稽古場に来る。 終わった後「ヨシムラさんがいいシル出してる」と妙なことを言う。側で聞いていた笠木が「いいシル…」と呟いたまま複雑な顔をして離れて行く。よくよく聞くと「いい味」の間違いであった。
■六月某日

No.025

 稽古前、オーストラリアからやって来たピーター・エッカサールに会う。彼は今『ハムレット・クローン』の英訳に取り組んでいる。
この四月に私は『ロスト・バビロン』をオーストラリアで上演したいという演出家ラッセル・フュースターの申し出で『ロスト・バビロン』のリーディングに立ち会うためアデレードを訪れ、(リーディングは大成功!)ピーターとの打ち合わせでメルボルンを訪れ、一気にオーストラリア贔屓になった。
当たり前のことだが、オーストラリアはコアラとカンガルーとサーファーがいるだけではない。
多くのアジア人が住む多民族国家である。メルボルンの街を歩いていると肌身で感じることができる。
そういうわけでこの日のマチネに行くはずだった宮島が出ている芝居を見ることができなかった。宮島さん、見れませんでした!泣かないでください、他意はありませんからっ!
宮島はそういうわけで今は本番の最中で7月から稽古場にやってくる。
こういうときって周りの劇団員はけっこう大変ということだ。宮島が芝居に来た劇団員にやたら「俺よかっただろ?俺よかっただろ?」と聞き回るからなのだ。
「よかったですよお」と言ってあげると本当にうれしそうな顔をしてふんふんとうなづき、哀愁のある背中を見せて去って行くのだという。
■六月某日

No.026

 早稲田の講義。60年代演劇革命の検証作業は尚も続く。
夜、新宿のtsutayaでクラフトワークとボアダムズのCDを大量に借り、ウォークマンで次々に聞きながら街を歩く。
殺伐としていていいぞ、新宿!
■六月某日

No.027

 昼間、小道具運搬のために田端の倉庫を開けに行く。
暑い日。カメラを携帯し、田端界隈の路地、店、風景を炎天下のなか撮り続ける。
『ニッポン・ウォーズ』ニューバージョンの舞台に使う映像ネタである。白黒フィルム36枚撮り一本分。
『砂場』で冷やしたぬき蕎麦を食べる。
その後、池袋に赴き、雑踏を撮る。
雑踏を撮るのは難しい。人間がフレームに入るからだ。そこで人間は見知らぬ他人のレンズを向けられるのである。文句を言われればそこですべては終わりである。いかに敏速に正確にレンズを上げ、シャッターを切り、カメラを降ろすか、運動神経が大事である。フレームから見る他人は恐ろしい。
■六月某日

No.028

 稽古後、今度は夜の新宿でカメラを振り回す。
■六月某日

No.029

 稽古後の夜、家の側の居酒屋で女将と、マチャアキの女房の離婚記者会見はおかしいのではないか、と誰もが言いそうなことを論じ合って盛り上がる。
それにしてもこれでPTSDという言葉もかなり安っぽくなってしまった。トラウマもしかり。堂々と語れるトラウマはすでにそう深刻な病ではない。
この会見も手記の宣伝が主な目的だったということらしいが、別れ際や別れた後に色々書く風潮が出来上がってしまうと、うっかり恋愛も結婚もできやしない。相手がタレント、女優に限らない。今は素人だって半分はタレント、女優予備軍なのだから。そういえば女優という言葉も安くなった。
一度は惚れた腫れたの感情を持ったどうしに、その後どう愛憎劇が展開しようとも、悪役も善玉もない。
■七月某日

No.030

 日曜日。最初の公開稽古。お客さん、もっと来て。
ほとんど自然体で演出をつける。思えば去年は毎日稽古を公開していて、さすがにくたびれた。苛酷な試練であった。その甲斐もあってか、今年は余分な緊張の仕方をしなくなっている。
稽古後、制作会議。情宣の方法等について。
■七月某日

No.031

 新潮社『フォーカス』休刊を知る。この雑誌に私は幾度となく登場した。といっても密会現場とか逮捕の瞬間とかではない。『フォーカス』は本当に演劇を大事に扱ってくれて、舞台写真と記事を掲載した。
第三エロチカも何回も取り上げられた。私達の舞台が非常にビジュアリティーにとんだものということもあったろうし、私がこの間演劇界における鬼っ子の役割を律義に演じていたというせいもあるだろう。
1981年創刊と改めて知る。私達の劇団創立とほぼ同じである。もっともこちらはまだまだ続きそうである。ここまできたからには劇団葬をやってもらえるまで続けてやろうと最近思い始めている。 
■七月某日

No.032

 野並の稽古場日誌の一回目の原稿はボツ。面白くないし、自分から手を上げたくせに時間がないなどと殴り書きである。最も野並はニューバージョン、リバイバルバージョン両方でQ将軍を演じているわけで、精神的余裕もなかろう。
この役は初演では私が演じていたもので、私は台詞はほぼ入っている。つまり野並の背後には、いざとなればすぐに発進できる私が控えているわけで、ここいらも相当なプレッシャーではあるだろう。 まあ、野並ぐらいの中堅ならば、これぐらいのプレッシャーはものともせずにやり続けなければならない。20代のガキ役者志望ではすでにないのだから。
それにしても野並はもっと売れてもいいのにと無念を覚える。何が良くないのだろうか。性格だろうか。主役として舞台をがんがんリードしていく華はないが、独特の持ち味で舞台空間を引き締める香辛料にはなる。性格俳優というやつ。
■七月某日

No.033

 高田馬場、芳林堂のコミック棚でジョージ秋山『銭ゲバ』を見いだす。「883ページ一挙収録!!」と帯にある。小学生の折り、少年サンデーの連載を読んでいたが、最後までは読んでいない。確か10数年ほど前文庫化されたとも記憶するが、購入を怠り、長年気になっていたものなので、慌てて買う。読む。この異様なまでの疾走感と迫力はどうだろう。
翌日再び芳林堂に赴き、同じ棚にあったジョージ秋山傑作未刊行作品集から『銭豚』、『スターダスト』、『現約聖書』、『告白』を購入。クリシェとスピードの融合から成った、苛酷なまでの無常感を土台にした同時代史。
■七月某日

No.034

 結城座で『くぐつ草紙』の宣伝用写真の撮影。中川安奈さん、結城孫三郎さん、一糸さん、千恵さん。中川さんの樹霊に寄り添う人形演じる精霊の図。すごくいい予感。
■七月某日

No.035

 午後1時から『くぐつ草紙』の本読み。これには笠木も客演する。
その後、『ニッポン・ウォーズ』の稽古。
暑い日々、稽古の掛け持ちは少しこたえるも、やはり私は夏には強い。もしこの日乗が来年の2月まで続けば、寒さに極力弱い私を披露する羽目になるだろう。手足が冷えきって生きて行く気力が無くなってしまうのだ。
■七月某日

No.036

 テレビでニュースを見ていたら茨城県のホストクラブに強盗が入り、40万円の被害に遭ったという。その名前が『スーパーホスト倶楽部・地獄の一丁目』!
■七月某日

No.037

 参院選に民主党から巨泉が、自民党から大仁田が出馬と聞き、一気に選挙への興味が失せる。野坂昭如まで出るという。野坂さんは好きだけど今更という気がする。野坂さんよりかつてのベ平連運動の総括として小田実氏あたりが出るべきだとも思うのだが。
他に政党政治家以外で出馬すべきだと思う人は、鈴木邦男氏、重信房子氏。演劇からだったら浅利慶太氏、鈴木忠志氏、平田オリザ氏。平田君には以前本人にこのことを言ったことがある。
「女房に離婚されますよ」と答えていた。こういう受け答えのできる彼は彼が書くエッセイやテレビのコメントより数倍面白い。
■七月某日

No.038

 稽古前、時間ができたので近所の美容院に行く。常連なので店長にシャンプー、ブローをサービスしてもらう。同世代なので成人病検査のこと、街でガキにしばかれない方法についてなど語り合う。
癇癪館はマンションの最上階で夜はすこぶる涼しい。田舎の特権である。連日の暑さに関わらずぐうぐう寝ている。
■七月某日

No.039

 土曜日。稽古後、池袋の北京料理屋『屯』に行くが、シャッターは閉じたまま。先週の土曜もそうだった。80歳のばあさんがほとんどひとりで切り盛りしている店で、通い始めてもう10数年になる。ばあさんの年が年だから心配である。
隣のキャバレー日の丸の呼び込みの旦那に尋ねると、9時から開けることもあったりと時間がまちまちになっているということだった。暑さにばあさんも参っているのかも知れない。
とにかくここの味は消したくはない。誰か若者が引き継ぐべきだ。笠木がやればいいのだ。
仕方がないのでロマンス通り界隈の小路の中華屋に入り、餃子とガツで老酒と白乾を飲む。
新宿の『風花』で旧友・川西蘭の朗読会をやるとの伝言を受け取っていたのだが、くたびれたので失礼する。 
■七月某日

No.040

 稽古前の午後、人形デザインを書き、結城座にファックスで送る。

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