41歳の私は未だふらふらとしている。
落ち着きがなく、瞬間湯沸かし器の気味もある。
だからこの日記を彷徨亭日乗と呼び、東村山の
住まいを癇癪館と名付ける。
こういった人間である。
No.021〜040 バックナンバー一覧 最新
■五月某日

No.001

 『ニッポン・ウォーズ』の劇団オーディション二日間の一日目。
キャスティングは頭のなかでまるで白紙。中堅も若手も同じ条件、およそ五分のなかで、自分の好む役を披露する。稽古場には緊張した空気がぴんと流れていて、熱気溢れる一日となった。自画自賛になるが、劇団内オーディションが出来る環境があるということは相当健康な環境下に私達は身を置いているのではないか。ひとりの俳優を取り上げて看板俳優などと呼ぶのは実は劇団にとっても本人にとっても良くはない。80年代、多くの未熟な俳優たちが小劇場のスターと無責任におだてられてその気になり、学習をしようとしなくなってしまった。そうやって設定されたヒエラルキーに安住してしまう関係を作らないようにと、劇団ではこの間腐心してきた。その成果だと自分達を褒めて上げよう。
■五月某日

No.002

 オーディションの二日目。休み時間、稽古場として使用している小竹向原コモネ・サイ・スタジオの一階のレストランでタイカレーを食べる。ここのレストランはいろいろ研究していて、料理にその意欲が現れている。
■五月某日

No.003

 十月公演の結城座の戯曲を終日書く。夕刻近所の銭湯に行って側の居酒屋で生ビールを飲み、店のオヤジと日本の巨人中心の野球はつまらねえと誰もが言いそうなおだを上げる。煮込みを食べる。
■五月某日

No.004

 引き続き戯曲を書き、夕刻『トラフィック』を見る。最近のアメリカ映画は刺激的ではないけれど、つまらなくもない映画が多い。『アメリカン・ビューティー』もその手の映画だった。面白いが別段面白くもない。どういうんだろうな、これは。要するに平均的ということか。
■五月某日

No.005

 午前中、開け放したベランダの窓から小鳥が部屋に飛び込んで来る。台所の網戸に張り付いているのを捕まえて逃がす。可憐な野鳥だ。東村山のこのマンションの五階には時折鳩ものこのこベランダから歩いて入って来る。夏の終わりには瀕死のセミが飛び込んで来る。人間は滅多に来ない。遠いからだ。深夜新宿からタクシーで帰ると一万円はかかる。だから始発まで粘ろうとするのだが、大抵へべれけで歩行すら億劫になり、タクシーに乗ってしまう。
終日結城座の戯曲『くぐつ草紙』にかかっている。
■五月某日

No.006

 夕方、稽古場に集まり、キャスティング発表。本読みをする。終了後劇団事務所の引っ越しの段取り、打ち合わせ。十年間いた高田馬場の事務所を引っ越すことにした。理由は空き巣の被害が多いからだ。大きいので都合五回遭った。窓を割って大胆に入って来る。しかし被害は少ない。取るものがないからだ。一番の被害はビール券五枚だったろうか。全国の泥棒さんたち、劇団事務所に入ったって徒労ですよ。やめてくださいね。
■六月某日

No.007

 『ニッポン・ウォーズ』の稽古。テーマ曲を耳にすると、初演からおよそ十七年、遠くまで来たものだと思う。劇団やって二十一年目だと。色々なことが起きてなんとも濃い人生であり、何が起きてもそうそう驚かなくなってしまった。裏切り、友情、死、なんちゃってね、紋切り型だな。二十代の若き劇団員達よ、経験をなめてはいけない。経験があるというそれだけの理由で古い劇団員は理屈なしに偉いんだよ。本物の才能以外それを否定することはできない。
■六月某日

No.008

 木曜日。早稲田大学講義の日。4限と6限。4限は理論中心の授業で寺山修司を論じ、6限は野田秀樹の『ライト・アイ』をテキストに決めて実習の授業だが、どうもやはり野田の言葉に私は乗れない。フィットネスクラブで芝居をやっているような気がする。どう悪ぶろうが野田さん、あなたの世界はやはり普通の健康体だ。才能満天だけどね。来週から唐十郎の『ジョンシルバー』を使用することにする。
■六月某日

No.009

 歌舞伎座夜の部。『五斗三番叟』、『吉原雀』、『荒川の佐吉』。帰りに「つばめグリル」でビールでも飲もうと思ったが金曜の夜のせいか満席なのでやめる。五斗三番に出演されていた中村東蔵さんとは早稲田の第一文学部の夏季ワークショップで共同演出をする予定。
■六月某日

No.010

 二日間に渡っての引っ越し。劇団員およそ四十人総出。私は目にしなかったが十二人ほどで事務所の庭に置いてあった物置を鋪道からトラックに移動させる光景はなんともシュールで迫力があったという。家が動いてる!という感じか。倉庫は田端に借りる。ここは私の祖父祖母の町で言わば私の幼少期のテリトリーでもあった。久しぶりに動坂から田端銀座へと路地を歩く。路地に建った日本蕎麦の「砂場」。盛り蕎麦を食べる。薄暗い店内。私の陰影礼讚。 そして動坂に居を構える鰻の「源氏」。美味い。私の最後の晩餐は鰻重だろうか。そういうわけで私はさして働かず、田端の散策に明け暮れた。私の古い家屋好き、路地好きは田端の風情のせいか。
■六月某日

No.011

 引っ越し二日目。無事終了。二日間とも晴れて良かった。夕刻、急にどしゃぶりの雨。サッカー、コンフェデ杯、日本の負けは予想通り。世の中そうそうあまくはない。深夜、久しぶりに志ん生の『黄金餅』を聞く。あははははと笑う。
■六月某日

No.012

 引っ越しで二日間早く起きたせいかといっても9時なのだが、目覚めてしまう。いつもは11時で、たまに十時間は眠る。寝付きは極めて良好で3秒後には寝息を立てているということだ。 テアトロの原稿を書く。色々とものを考える。所沢の古本市に行くが、がっかり。まるで掘り出し物無し。三好十郎の全集を探しているのだが。
■六月某日

No.013

 『テアトロ』原稿のゲラチェック。文学座の俳優・内田聖陽氏に関するエッセイ。
青年座の綱島郷太郎からも公演パンフレットの俳優紹介の一文を頼まれている。郷太郎とは去年、世田谷パプリックシアターのリーディングで仕事をした縁だ。その一文を書く。僕は本当に人を褒めるのが上手だ。心がこもっている。僕は始祖鳥になりたい。
■六月某日

No.014

  結城座の『くぐつ草紙』が上がり、座に送る。宣伝写真の絵コンテを考え、スケッチブックに描く。おいおい人形デザインにも着手しなければ。結城座とはこれで三本目の付き合いになるが、これまでもすべて人形デザインは自分がやった。これが実に楽しい。自分がイメージする顔、形を創造できる、フランケンシュタイン博士の快楽とでもいうべきか。あるいは古典的なる人形愛。しかし自分の場合、ダッチワイフ的欲情とは性格を異にする。人形に息を吹き込むことへの悦楽、やがて人形は博士のいうことを聞かなくなり…といった人形の自立を巡る加虐と被虐の形而上学。開かれた変態性欲。嗚呼、谷崎潤一郎先生!いずれ自分はあなたの世界を舞台に出現させます。
■六月某日

No.015

 梅雨の霧状の小雨。むしむしとした気候。いよいよまた日本の幽霊の季節が近づいて来た。南北の『四谷怪談』の民谷伊右衞門の貧乏長屋の描写が好きだ。蒸し暑さ、リストラ、赤ん坊の泣き声、病弱の妻。民谷の殺人と陰謀は彼の周囲の環境の要素すべてから成立されたものだが、なかでもいっとう重要な要素とは日本の夏の気候だろう。人を狂わすこの日本の気候が私は好きだ。
夕刻より『ニッポン・ウォーズ』の稽古。休憩時間を入れずにぶっ通しでやる。主役のO`やってる伊沢とか早くもばててやがんの。伊沢は少し前昼間は竿竹を売って生計を立てていた。なんでこんなことをいきなり書くかというと、講義のために二十数年振りに読んだ唐氏の『続・ジョン・シルバー』のなかの竿竹やの台詞、「なぐらねえでぐだせー」が頭から離れなくなってしまったからなのだ。ここ終日「なぐらねえでぐだせー」と独り言を言っている。十七歳の時、私は文庫本『ジョン・シルバー』で正と続を読んだ。今からは想像しにくいことだが、当時角川文庫から戯曲が出ていたのだ。唐十郎、寺山修司、別役実といった面々。おい、出版社、戯曲もっと出せよ、くだらねえ小説ばっか出しやがってよお。どうせ小説もたいして売れねえんだろっ。
■六月某日

No.016

 ♪雨がしとしと木曜日。ぼくはーひとりでーワセダーの講義の講義にいくんだよ。(ザ・タイガース『モナリザの微笑』のフレーズで) 講義の後、わが研究室に劇団員が集まり、このホームページについての会議。劇団員から出た案がことごとくつまらない、もっとお色気やら馬鹿馬鹿しいテイストを入れなければ、他人はわざわざサイトなど開くもんかと、私、大いにのたまう。さらに調子に乗って色々淫靡、尾籠なアイデア出すと、女性陣からセクハラだと糾弾される。謝ってもいっこうに許してくれない。げに恐ろしきは女性の執念かな。部屋の隅にまで追い詰められ、ぼこぼこにされる。私は叫ぶ、なぐらねえでぐだせー、なぐらねえでぐだせー。
■六月某日

No.017

 唐組の新作『闇の左手』を見に花園神社へ。ここ数年の唐組の新作のなかで、一番うまくできているのではないか。とはいってもこの前の二作ほどは見ていないのだが。義肢を扱った芝居で、『ジョン・シルバー』の義足もしかり、唐氏はこうした身体のパーツに関する形而上学をやらせると他に追随を許さない。独壇場だ。例によって終演後、テントで飲む。スガ秀実氏も来ていた。(失礼。スガの一字がワープロに入っていません)三好十郎のことを振ると、唐氏大いに三好について語り出す。スガ氏も加わって三人で三好十郎再評価の計画を語る。三好という人は、周囲が触れたくないことに触れた、近代劇における癌のような存在だというのが唐氏の見解。我が意を得たり!私は三好を読むことによって今の日本の政治劇の可能性を模索したい。
■六月某日

No.018

 三日後。再び花園神社のテントへ。唐氏の花園賞受賞の祝賀会出席のため。この賞は
花園神社の宮司さんが、「当社並びに新宿文化に貢献された方または団体に出す賞」として作ったもので第一回の受賞者が唐氏というわけだ。
稽古を終えて十時過ぎテントに着く。一次会が終わり、ちょうど場が落ち着いたところだというが、司会の金守珍氏が私を見るや否や、舞台にひっぱり上げ、いきなりスピーチをさせられる。大丈夫。多分こういうことになるだろうと思って密かに準備はしておいた。
それからも法被を着た金は大絶好調、大騒ぎ、ひとり大興奮。叫ぶは歌うはで静かに飲んでいた佐野史郎氏が「むかつくなあ」と呟くのが聞こえて来る。でもすぐに佐野の歌の出番になったから別に問題無し。金が佐野の女房の石川真希さんを「バイアグラのコマーシャルに佐野と一緒に出ている」と紹介したときには笑った。バイアグラのCMなんてやってるかよ。EDのCMだろがっ、金。私はおとなしくしている。こういうケースではいつもそうなのだが、金が騒げば騒ぐほど私は冷静になっていく。唐氏は気持ち良さげにほどよく酔っておられた。血しぶきが舞うようなこともなく良かったなあと帰ろうとすると、泥酔の大久保鷹氏に絡まれ、居座る羽目になる。大久保さんと会うのも数年振りだ。絡まれたというのは正解ではないかも知れない。大久保さんはロレツも頭も回っていなくて何をしゃべっているのか皆目分からないのだ。金は少し太った。そういうわけでここ数日にわたり久しぶりに唐氏を堪能した。
■六月某日

No.019

 稽古後、劇団員と少し飲む。珍しいことだ。私は稽古中は滅多に俳優達と酒を飲まない。劇団のときだけではなく、他の現場でもそうだ。稽古中に酒を飲むとどうしてもそこでダメだしめいたことをいう羽目になったりするから嫌だ。真剣勝負は稽古場だけでするべきだ。酒は理性を喪失させる。その末の言葉は基本的に当てには出来ない。人は私の対外的なイメージからこれを意外に思うらしいが、これが私の酒飲みとしての倫理である。
前日に同じ店で飲んだ宮島は、ひとりでしゃべり続けて笠木のアパートに泊まっていったという。朝は「発散する酒は気持ち良い」などといってすっきりした顔で五時に起きて小説を読んでいるのだという。本当に最近宮島は飲むとどうでもいい自分の話ばかりして人の話を聞かない。よっぽど日々色々溜まっているのだろう。キャバクラにでも行けばいいのにと、かつて宮島にいったことがあるのだが、緊張してくつろげないとしんみり呟いた。サンドバッグになるほうも堪らないだろうと、聞き役のホスト料をもらえと笠木達に提案する。笠木は深くうなづき、「それでは一時間三千円取ることにします」という。笠木にこの値段は高い!
■六月某日

No.020

 森下スタジオの解体社公演へ。上演時間より早めに森下に着いて清澄通りの『京金』で冷酒を嗜み、穴子天せいろを食べる。せいろを追加する。冷酒ももう一本といきたいところだったが、時間切れの気配があったので諦める。
公演を見ながらフォルムについて思いを巡らす。終わってからもそのことについてばかり考える。つまりフォルムの恣意性についてだ。
ここがこの上演を認めるか認めないかの別れ道ではなかろうか。
解体社の魅力とはある種の野暮ったさだ。
新宿をふらふらする。歌舞伎町周辺のこの雑然とした雰囲気はどうだ。ディズニーが進出する前のマンハッタンはタイムズ・スクエアに似た騒々しいさ、革命抜きの70年代前半といった空気だ。
何かが起こりそうな気配がある。しかしそれが最近はいつも幼稚な衝動からされる殺人であるから、いまいち街に厚みがない。
それにしてもなんとも荒涼とした空気だ。しかし、バブルに狂騒していた路上より今のほうが数倍いい。
劇団事務所が西新宿に移って再び新宿を訪れる回数が多い日々がやって来ているが、やはりここがわが街といった気分だ。
『ニューズウィーク』誌が新宿が大人の夜の街に変われるかどうかという記事を掲載していたが、私としては是非そうなっていって欲しい。
『タモリ倶楽部』を見ると六平直政氏が出ていた。随分会っていない。10数年前、金と六平に劇団の創設を焚き付けたのは私だった。だから何だというわけでもないが。

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