彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。
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■三月一日 No.1567
昨日に引き続き寒く、しかも雨で体だるく、何もする気が起こらず、せんべいとかチョコを食べているうちに日が暮れる。

夕刻、ごそごそと執筆にかかるも調子あがらず。

■三月二日 No.1568
今日もまた寒くて雨だよーん。

でもけっこう快調に執筆。

■三月某日 No.1569
『フライトプラン』を見る。

がっかり。もっと高級なサスペンスを期待していたのだが。ジョディ・フォスターはまったく女ブルース・ウィルスだ。でもいいもん、ジョディが出ているだけでいいんだ。しかもこの役は『羊たちの沈黙』のクラリスに似たプアホワイト出身の女性といった匂いがあるからまあ許せる。でもつまんねえの、この程度のがヒットしたんのかよ、民度低いぞ。

■三月某日 No.1570
執筆。

執筆の余韻を抱えたまま、ふらふらと半ば仕事の観劇。ながーい上演時間の小劇場。ぐったり。しかも見ているあいだ執筆中の世界のことばかり考えていて内容が何も頭に入ってこない。

■三月某日 No.1571
遊静館から温泉ハウス、テルメ小川へ。一時間のマッサージを受ける。こりこりに硬い私に当たったマッサージ師はさぞかし貧乏くじだろう。
■三月某日 No.1572
執筆。

夕刻、ニューヨークACCオフィスのディレクター、ラルフ・サミュエルソンらとの会食のためにACCのオフィスへ。ラルフとは何年ぶりの再会だろうか。

いろいろな人が加わり、近くのうどんすきやへ。

日本酒のセレクトは私。

話題はまず今日発表のアカデミー賞の行方。

『ブロークバック・マウンテン』がベストだとラルフ。

わいわいしゃべったが、後半、私、英語疲れでぐったり。

■三月某日 No.1573
執筆。とりあえず脱稿。うれぴー。

夜、ウイスキーを飲む。

なぜか『花と蛇2』を見る。やはり前作の迫力のほうが上、というか人間、いったん見せられたもののさらに上を要求するものだからねえ。これもまたポルノ映画として実によく出来ているのだが、前作の焼き直しの感が免れず、いっそまったく違うテイストにしてもよかったと思うのだが、それもそれで文句が出るだろうからねえ。いやあ続けるということは簡単なことではない。

杉本彩はテレビのトーク番組などで見ると、川島なお美と並んで同性の友達がいないタイプの女だと思うのだが、これだけ体の手入れをしているのは、プロの技だ。女装とバイアグラの宍戸錠が泣ける。

■三月某日 No.1574
春の暖かさ。

花粉が肌に感じられる。しかし早めに予防薬を投与しているせいか、あまりつらくはない。

『ミュンヘン』を見る。

うーん。映画は予想通り何も語ってはいないし、描かれているのはあくまでサスペンスなわけだが、こうした題材における映画、演劇には答えなどないという非情さに徹し切れていないのは、まあこの規模のスピルバーグ映画であるのだから致し方ないか。とにかく主人公が自宅に帰ってからの後半はまるでだめだ。途中まで地味なサスペンスとして調子いいのになあ。つまり非情さを貫くことができなかったわけで、いろいろ問題を考えてしまった結果なのだな。

■三月某日 No.1575
半ば仕事で横浜で観劇。

それから伊勢佐木町をぶらついていると、かつてよく行っていた名画座が横浜ニューテアトルという名で新装されて開館しているのを発見。ちょうど『クラッシュ』をやっているので入ってしまう。かつてここではラルフ・ネルソンの奇妙な西部劇『ソルジャー・ブルー』とかアンソニー・パーキンス、チャールズ・ブロンソンが出ているサスペンス『扉の影に誰かいる』とか見たなあ。

『クラッシュ』、複数の登場人物のエピソードが本人たちが知らないまま絡み合うというロバート・アルトマンの手法、今や常套手段のそれを徹底的にやったもので、シナリオの勝利かな。演出はやや稚拙。『ミュンヘン』でも見受けられるのだが、音楽を流しっぱなしにしてモンタージュして何かを語ろうとするのはカラオケビデオじゃあるまいし、やめろといいたい。

でも良かったよ、『クラッシュ』。ラストに向かって甘くなるが、仕方ない、これはアメリカ映画なのだから。二日続けてアメリカ映画を見ると、フランス、スペイン、ドイツあたりのごりごりにわがままできびしくて暗い、映画のなかの映画が見たくなる。

■三月某日

No.1576

書き上げた戯曲の最終チェック。

『ボーン・スプレマシー』を見る。

前作同様、この手作りのサスペンスには好感持つが、ハンディ・カメラでわざとブレを入れてこうカット割りが多いと見ているほうは疲れる。

■三月某日 No.1577
評論に近いエッセイ原稿を書き出すが、脳がまったく戯曲の文体、思考になってしまってまるでのらない。書く前に小林秀雄あたりを読んでそういうモードにギアチェンジしないとどうもなあ。無理矢理がんばって十枚ほど書くが。
■三月某日 No.1578
京都入り。

舞台学科の卒業制作の優秀作の再演を見る。

授業を持っていない時期で久々に大学に行くと、いつも独特のよく言えばなごみのようなこのとろんとした空気には戸惑う。これはこの大学特有のものなのか、学科のものなのか、あるいは京都の風土からきているものなのか、わからない。

『シリアナ』を見る。

ニューズウィーク紙上でジョージ・クルーニーがアメリカ映画がまるで70年代に戻ったみたいに社会派が多くなったと言っていたが、本当にそうだ。ブッシュのような馬鹿ばかりがアメリカ人なのではないと、みんな訴えたいのだろう。

この映画もアメリカのあくどさを描いているが、しかしこうした映画が作れるんだぞと表明することによってアメリカの擬制の正義を逆に補強するだけのものなのではないか。

井筒監督がテレビでいっていたほどつまらない映画ではないが、そこそこだし、なんといってもスタイルが『トラフィック』に似すぎている。

デーブ・スペクターがこの映画がアカデミー賞をいくつも取ったら「シリアナ総なめ」とコメントしようと思ってたのにい、とか書いているのには笑った。この微妙なタイトル、日本の配給会社の担当者は絶対少しにやついて決定したと思う。上司になんだこれと聞かれたとしても、だって原題がこうなんだから仕方ないでしょと反論できる。さすがに平仮名で「しりあな」とはできなかったろうが。

それにしてもこの意味が映画を見てもわからなかった。どういう意味だ?

アメリカと言えばWBC日本vsアメリカ戦の主審はなんだよ、いんちきだろ、いんちき!

東京では文学座の制作の人が先週の当日乗を見て、書き上げた戯曲を渡してほしいと連絡があったという。甘い、なぜならこの日乗は虚実入り交じっていて、嘘もやまほどあるからだ。

ったく実は実家の母親もこれを読んで息子の動向を伺っているらしく、どこからも監視されている気分でやめちまおうかとも思う。

そいでけっこうみんな冗談通じないんだもん。

そういうわけで急に唐十郎を京都に呼んで、ふたりで酔っぱらってそのまま新幹線で静岡へ向かい、駅のホームで「すずきい、出てこい、ここでメソッドやってみせろー」とか叫ぶ。ってこれも嘘だからね。ってちゃんと注をいれとかないとほんとだと思ってしまう人がひとりやふたりじゃないから世の中おそろしい。でもどうでもいいけど。

■三月某日 No.1579
もうホテルの枕が合わなくて寝付きが悪い。変な夢もやまほど見る。

大学でいろいろ会談。

帰りの新幹線でワインをがぶがぶ飲んで、ウイスキーものんじまう。

なんかパリス・ヒルトンって典型的な金持ちお馬鹿をやってくれていいよなあ。

パリス・ヒルトン、好き!

■三月某日 No.1580
終日原稿書き。うんうんうなる。

そういえばこれは先々週の話なのだが、疲れと花粉症でぼーっとしたまま酒屋に向かい、日本酒買って熨斗に「御祝い」と書こうとしたところが、「御」が出てこないままレジで筆を持ったまま数分固まってしまい、酒屋のおばさんからは「たまにありますよねえ」とか慰められたりしてえらいショックだった。くたびれていたせいもあるが、キーボードでちゃかちゃかやってると漢字がどんどん脳から抜けていくって気がする。

夜中、不意に油絵の筆を取る。

■三月某日 No.1581
原稿上げる。

東スポでテリー伊藤がプロ野球について「ファンの同情でしかない清原人気にいつまですがる気だ」と野球ジャーナリズムを批判していたが深く共感する。清原あたりを未だに持ち上げてばかりいるから、一生懸命で能力のある若手のやる気を打ち砕いてしまっているのではないか。

大体清原という存在はいいとは思わない。劇団でもこの手のベテラン、中堅という存在がいっとうよくない。わいわいいうファンもよくない。まあ感情移入できる選手が他にいないということなのだろうか、ジャーナリズムがそういうストーリーを多くの選手にもっと仮託させないといけない。

夜、ふぐを食べる。

■三月某日 No.1582
下高井戸で『ランド・オブ・プレンティ』を見て、銀座で『アメリカ、家族のいる風景』を見るというヴェンダース・デイ。銀座の映画館で昔の知り合いとばったり。

うーん、かつての『ことの次第』がくせのあるシングル・モルトだとすると、この二本はブレンド・ウイスキーの薄い水割りって感じね。まっ、水割りもまずいことはない。

でも『アメリカ』のサム・シェパード、自分の脚本だけどミス・キャストじゃねえか。この役やるには顔、表情が神経質過ぎる。

その後、DVDで『妖怪大戦争』を見る。

つまらない。

大雨。風。遊静館はさながら嵐が丘。

■三月某日 No.1583
うへーっ! 野球WBC、アメリカ、メキシコに負けやがんの。弱いなあ、アメリカ。

やる気ないのかなあ。

■三月某日 No.1584
ジャン=クロード・ブリゾーの『ひめごと』を見る。

この監督はほんっとエロメロドラマがうまい。フランス映画ならではの端正なスケベさを堪能できる。

この監督の、ヴァネッサ・パラディ主演の『白い婚礼』もよかった。浪人のころだろうか今はなき高田馬場の名画座で見た。当時はほとんど話題に上っていなかったものだが、私はえらく心動かされ、この通俗は買えると思った。

夜、油絵を上げる。ポンタ・ムッソンの墓地に咲いていたひまわりの記憶。

■三月某日 No.1585
WBC日本vs韓国戦に入れあげる。

自転車に乗って資料探しに図書館に向かうが強風で先がよく見えない。空気が土埃で黄色い。

■三月某日 No.1586
中野の美容院いって青葉で麺食って、歌舞伎町の不動産物件ツアーに参加する。やはり歌舞伎町は奥が深い。
■三月某日 No.1587
WBC決勝キューバ戦。

多くの日本人と同様ひさびさに、野球に真剣に見入る。

感動、感激して涙を流す。

ああ、本当に気分のいい一日だ。

それにしても誤審疑惑審判ボブ・デービッドソンの人生が気になる。どういう経歴と人格なのか調べたい。芝居にできそうだ。

私生活ではすごく人物で、最後に友人代表が、「ボブ、おまえは野球のジャッジはだめだったが、人生の審判としてはサイコーだったぜ」って語るハートフル・コメディ。どうかね?

ヴェンダース『ミリオンダラー・ホテル』を見る。

まるでよくないともう見始めて十分ほどでわかってしまう。傲慢だけれど。

■三月某日 No.1588
銀行行っていろいろやって、次に都庁の旅券課で有効切れのパスポートの申請。大勢の人で二時間ほどかかる。

その後、執筆。

夜、小雨のなか、歌舞伎町の鰯やに繰り出す。

■三月某日 No.1589
京都入り。

在学生ガイダンス。十五分遅れで始まる。ここは学生ものんびりしてるが、教員ものんきといえばのんきだ。まったく私のリズムに合わない。

終わってすぐに帰京。

新幹線の行き帰りの車中でジム・トンプソンの未読のやつを一冊読み終える。いやー、やっぱりおもしろい、この人は。まだ読んでないのが二冊ある。京都の行き帰りに読もうっと。帰りの車中でウイスキーやりながらってジム・トンプソンがいいんだよなあ。

■三月某日 No.1590
引き続き誤審審判ボブ・デービッドソンのことが気になって仕方ない。ボブは実はベトナム帰還兵で化学兵器を扱っていたためにその後遺症があり、アメリカが負けかけると異様なパニックを起こして無理矢理にでも勝たせてしまうのだった。ってストーリーはどうかね。

昼間、西巣鴨で芝居を見る。つまらない。

夜、新宿で打ち合わせ。そのまま飲みに入り、深夜未明までバー・ホッピング。

■三月某日 No.1591
二日酔いで何もできず、ただ笑点を力なく見る。圓楽、司会に復帰。
■三月某日 No.1592
執筆。

夜、新宿池林房で勝也さん、高橋君と飲む。戯曲完成祝いである。勝也さん、絶好調。

■三月某日 No.1593
執筆。合間に桜など愛でる。
■三月某日 No.1594
爆笑の太田の「一度でいいから見てみたいにょうぼがへその緒食べるとこ」というギャグが頭から離れなくなり、何度も口にしてつぶやいている。これは笑点からの引用であろうか。

生活のためにいろいろ散策。

新井薬師、哲学堂の桜を見る。

とにかく寒くて悠々というわけにはいかず。

■三月某日 No.1595
執筆。

夜、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』を見る。

物足りなさ感が残るものの、おもしろい。立派なフィルム・ノワール。エド・ハリス、ウィリアム・ハートがいい。

とにかく寒くて仕方なく、遊静館近くの飲み屋に寄り道して熱燗。女将、眼帯をしているので聞くと、酔っぱらって自転車で帰って電柱に激突したと、絵に描いたようなとほほ。

深夜、油絵20号を完成とする。

■三月某日 No.1596
先週、「一度でいいから見てみたい、にょうぼがへその緒食べるとこ」って太田のギャグをそこいらでつぶやいて、それはなんだと聞かれて、答えたところ、ある人がえらく驚くのでなんでと聞いたら、太田省吾さんがいっていると思ったということだ。そりゃびっくりするよな。太田さん、今年も京都よろしくお願いします。

ウッディ・アレンのビデオ借りて見始めたところ、すでに見たものとわかる。どうも以前ビデオで見たものはこれをやる。映画館で見たものはこんなことないのだが。

そういうわけでジョン・ウォーターズの『ポリエステル』を見る。

アデレード・フェスティバルで『ロスト・バビロン』をやってきた哀藤と遠藤が無事帰国したということだ。

劇のなかのボス役は現地の日本人がやったらしい。演出のラッセルは当初私にやれと言ってきていたのだが、この悪役を日本人が演じること自体に抵抗を覚えたので断ったのだが。

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