彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。
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■九月某日 No.1421
ところでポンタ・ムッソンの写真等は当HPのティーファクトリー・コーナーに満載されているので、そちらをどうぞ。オリビエやナタリーの顔が見られるぞ。

こまつ座をひさしぶりに見る。『小林一茶』。そいでその後、小林さんらと飲む。

■九月某日 No.1422
快晴のもと、るんるんと自転車を走らせ、あややのCMソング、ほんとは好きな人がいるのに鈍感なバカにキスされそうになって「うわーっ」って叫ぶあのCM。ああいう鈍なやつって必ずいるよなあ、しかもみんなで遊びにいってるのにぬけがけしていい思いしようとしている性欲の強いやつ。

ってまあどうでもいいけど、それに流れてるのを歌いながら超スピードで車道を渡って反対側の歩道に上がろうとしたところ、車道と歩道の段差に乗り切れず、段差の側面とタイヤが擦りあい、歩道には上がったものの強引だったせいで、見事転倒。左膝を打ち、見ると見事パンツの膝小僧部分が裂けて擦り傷で血みどろ。

こんな怪我をしたのは数十年ぶりだ。

幸い誰もそばにいなくてよかった。

歩道際の植木鉢にもう少しで突っ込むところだった。

夜、K-1、サップ、ホンマン戦、見る。

なんだよ、ふたりでお見合いばっかしやがって。まじめにやれ。

■九月某日 No.1423
京都芸術センターのシンポジウム出席のため、午前中京都に入り、観劇、シンポ、打ち上げをこなして夜中帰京。
■九月某日 No.1424
転倒の傷、なかなかカサブタできず。年とったんだな。少年の頃はすぐできたのにねカサブタ。

しかも打ち身でもあるらしく膝を伸ばすと痛い。

アンリ=ジョルジュ・クルーゾーを二本。

『犯人は21番に住む』、『情婦マノン』などを見る。

さて次の戯曲に取り組まねば。参考資料等に目を通しつつ、いつ書き始めようか。

■九月某日 No.1425
涼しい。夏に酷使した内臓が一息つき、眠っているのがわかる。

だからあまり動く気がしない。

終日読書。

■九月某日 No.1426
『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだが、前半の聖杯やシオン修道会やらテンプル騎士団やらの情報がいっとうおもしろい。

後半は二転三転させようという作為から笑っちゃうところもあって、なんか真相も笑えないか、これ。

ほんっと字のハリウッド・アクション映画。逆に映画化が大変だな。

■九月某日 No.1427
都内で正午からビジネス・ランチ。マティニ三杯。って嘘だけど。

その後、資料集め。

■十月一日 No.1428
終日資料読み。

送られてきた今月の『en-taXi』の付録がなんと笠原和夫の未映画化シナリオ『実録・共産党』である。素晴らしい! 素晴らしすぎる!

『男はつらいよ』を見直していると、松村達雄のおいちゃん、けっこうがんばっているし、十何作目まではおもしろいな。

八千草薫がマドンナの『寅次郎夢枕』など、見ていてなんか涙が出ちゃった。

中二か中三ぐらいのときに映画館で見たっけ。

この日『寅次郎恋やつれ』を再見するが、最後のさくらと寅の別れの場面に涙が止まらない。

結局このシリーズはこのふたりの物語だ。寅さんの失恋なんかどうでもいい。寅とさくらという根無し草であるふたりのそれぞれの切なさを思うとき、なんともやり切れなくなる。このことはいくら監督が代々木だろうと関係のないことだ。

■十月某日 No.1429
NHKの橋田ドラマ『ハルとナツ』を何気なく見始めたところ、去年ブラジル公演の折りに見聞きした日系移民のエピソード、リベルタージ地区で体験したことなどが思い起こされ、ドラマのなか、「さんとす丸」という活字を目にしただけで、もう涙が止まらなくなってしまった。なんか最近夜にこうして泣いてばかりいる私とは一体どうなってしまっているのだろう。でもほんとサンパウロってのは日本人を考えさせてくれて泣かせるんだ。

明日から新作執筆開始を告げると周囲の者達が嘆息し、怯える。情緒不安定になるかららしい。本人はあまり自覚がないのだが。

■十月某日 No.1430
急に気温が下がり、具合悪く、調子でないことおびただしい。

なにをやっても集中力欠くなか、『実録・共産党』を読み出すが、ほとんど『仁義なき戦い』のノリなので大笑い。

『ハルとナツ』第二話見るが、私自身のサンパウロへの様々な想いは別としてひどい演出、ひどい脚本だな、これ。見てられねえよ、って見てたけど。

■十月某日 No.1431
と思ってたところサンパウロの知人よりメールがあり、その方からは前に「『ハルとナツ』見てください、よろしく」といった文面のメールをすでにもらっていたのだが、実際に見て大激怒だという。

まるでブラジルが大貧乏の印象だ、まるでわかっていないとプンプンだ。

ほんっと泣けよオラオラって脚本、演出だし、だまされんなよと言いたい。ぼく、泣いたんだけど。

でも橋田ドラマの父親とか男ってたいてい頼りの無い存在で、ほんと男への悪意がいつも読み取れる。

作者が旦那とか上司とか先輩とか男には相当ひどい目にあったということだろう。

高度成長期の男ってみんなマッチョだったからねえ。

そういうわけで執筆まるで進まず、終日苦悶したまま。

なんか楽しいことねえか、楽しいこと。

■十月某日 No.1432
執筆。

夜、なんやかんやといいつつ『ハルとナツ』を見る。

最大の興味は終戦後の勝ち組(日本が勝ったと信じてる人々)と負け組(日本の負けを受け入れてとにかくやっていこうという人々)の描き方だ。

これは相当に奥が深く、まさに内ゲバで殺人も行われ、今でも関わった人々にとってはアンタッチャブルな話題で、あそこのうちは勝ち組の子孫だなんだといったことが耳打ちされたり、しこりを多大に残した事象だ。

関係者は恐らく肝心なことは墓場まで持っていくだろうから、早いうちの取材が必要なんじゃないかなどとさして計画が明確でないまま、リベルタージ地区で考えたものだった。

まあ予想通りテレビでは薄っぺらい描き方だったが。

まあ文句をいうのはやめよう、どうせテレビなんだから。

■十月某日 No.1433
中野の美容院いって青葉でラーメン食って、新宿で連載の打ち合わせ。

執筆。

いよいよ『デスパレートな妻たち』がBSで始まったので録画してもらったのを見るが、評判どおりおもしろい。

■十月某日 No.1434
執筆開始するもどうも文体が決まらない。

夜、『ハルとナツ』を見る。文句垂れつつ結局五話全部見てしまった。もう最後なんか涙ぼろぼろ出ちゃった。やっぱりさすがだ橋田先生。

■十月某日 No.1435
書き出した劇の、出だしが決まらない。もう四つファーストシーンを書いたのだが。

巣鴨でサーカス芝居をやっている伊澤から電話で、会場電気が落ちて復旧が大変なのだという。会場は体育館でジェネレーター使用だからだ。

「ぼくはだいじょぶです」って当たり前だろが、おまえは電気仕掛けだったのかよ。

見沢知廉氏の新刊『ライト・イズ・ライト』が送られてくる。

故人からの伝言だ。

■十月某日 No.1436
新人劇作家賞の候補作を読まなければならない。正直いって苦痛だ。なんでこんなもんを二次まで残したのかってのもあるが、一次をやっているとひどいのがたくさんあって、それでもいいほうだというのを残してしまうという傾向があることも私は知っている。

巣鴨でサーカス芝居見てうちの近所で酒飲んで帰る。

■十月某日 No.1437
気候寒く、なにやら体だるく、まったく調子が出ない。

中島貞夫の実録物、松方弘樹主演のを二本見るが、このマッチョぶりに辟易。

■十月某日 No.1438
二月のフクロウの美術打ち合わせ。

テレビで最近やたら欽ちゃんが野球のことをまた言っていると思ったら村上ファンドの人だった。

十二時前に寝る。

■十月某日 No.1439
横浜、二俣川へ。
■十月某日

No.1440

横浜に泊まり、養護センターにいる祖母に会う。

それまでに東京から仕事上のことでいろいろなことが勃発した旨の電話、多数。

いろいろ落ち着かないこと多数ありだが、そんなことおくびにも出さず、二俣川。

はっきりいって色々なことが起こることに対しては私プロです。

なにが起こったか知りたいって?

親戚がテロリストとして捕まってしまったんだよ。

そいで逮捕されるときオナラをしたら爆発して大変なことになってしまったんだよ。

■十月某日 No.1441
終日執筆。

紀伊國屋で本を買っていると隣のカウンターに買った本を取り替えて欲しいという女性の声がして、それが細木数子の来年版の占い本で、運命数の計算を間違えたので代えてほしいといっている。

店員が、「どの星に代えましょうか」と聞くと、「しし座」とか言っている。思わず顔を見てしまうと、なんと、山田山子である!

わっと思ってこそこそ逃げる。

それにしても最近は山子、新宿に出没しているのか。気をつけよっと。

と思って桂花でラーメン食べてたら山子に捕まる。

山子は大工の旦那と離婚したのだという。

実は山子、熟女AVに出演し始めていて、それが旦那にばれた。

大工は雨だと家にいる。だから雨NGの女といわれたらしいのだが、曇り空小雨という微妙な日にAVの会社から電話が入ってしまったのだという。

こういうどうでもいい話を、とりあえずふんふんと聞いている。

夜、ひさしぶりに『ER』を見るが、やはりテレビドラマに限ってはアメリカが上だな。

もっともこのリズム、テンポを日本人が真似する必要はないが。真似すると大変変なものになる。

身内の老人問題が頭から離れず。

■十月某日 No.1442
休日。

曇り空、たまに小雨のなか、サイクリング。

■十月某日 No.1443
久々に神保町のゴルドーニに顔を出し、旦那としばし語り合う。

その後、本屋で大江健三郎の新刊などを買う。

これは『取り替え子』以来おもしろげだ。

その後歯医者。秋になって右下が痛み出した。

執筆。昨日まで書いたぶんをほとんど破棄。

円楽入院か。今の大喜利メンバーを若手に総取替えの案は以前よりいわれているが、老人がやっているからこれはおもしろいのだ。

私はなんか最近老人ばかりに興味がある。

なぜならば老人はあまり語られていないし、描かれていないからだ。

今に本当に自分がジジイになったら老人の性欲とか性生活を赤裸々に描きたいものだ。

■十月某日 No.1444
人生は私を静かにしておかない。運命だ。

でも執筆。けっこう今日は調子いい。

それにしても小泉、靖国参拝やばいぞ。まあ私は、仏になれば罪人も浄化されるという考えは理解できるわけで戦犯を離せとはいわないが、結局世界がこれだけ近くなってしまうと、うちのしきたりに口を出すなといえないわけで、隣近所のことを考えないとこの世界には生きていけないわけだな、日本は。確実に戦争と侵略は仕掛けたわけだし。

靖国に関して内政干渉と突っ張るならイスラム国家が反米を表明するような文明の衝突の事態を覚悟しなければならない、日本は。

■十月某日 No.1445
二俣川の講座のため、横浜にいって帰ってくる。

フセインの裁判の模様をテレビで見るが、なんかおかしいな。

極悪だろうがなんだろうが、とにかくまがりなりにも大統領やってて、そこに勝手にアメリカが空爆してきてフセインを捕まえて、結局これは誰が裁いているんだ。

■十月某日 No.1446
秋晴れで頭もからだも調子いい。

執筆。

■十月某日 No.1447
別のものの執筆もぼちぼち始める。

年内、当分二本立てで書き進めるつもり。一方はワープロ(いまだに使っているのだ。これ壊れたらどうしよう)、片方は手書きで。

今日はまったく酒を口にせず。

■十月某日 No.1448
最近、店の若者に「だんなさん」とか言われたり、家に来た新聞販売員に「おとうさん」と呼ばれるのでなんか、しみじみする。

執筆。

今日は実に調子いい。のってきた。タイトルも決まった、ほぼ。

思い立ってひさしぶりに思い出横丁でいっぱいやりつつ、日本シリーズ第一戦を見る。霧でコールドとは恐れ入った。出てくるものはたいしてうまくない。ここも要するに雰囲気物だな。

■十月某日 No.1449
休日。

からだ動かず。

『笑点』、歌丸さんの司会、きびきびさくさくしていて、座布団の上げ下げのジャッジも納得させられるもので実にいい。

それにしてもほんと体だるく、風邪っぽく終日家にいる。

■十月某日 No.1450
今年はポール・クローデルの没後50年でいろいろな催し物が開かれるなか、来月早稲田大隈講堂でクローデル作『女と影』が中村福助氏主演・演出でおこなわれる。その演出協力を要請され、受けたので町屋のホールに行く。そいで福助さんと会って助言して帰ってくる。

大江健三郎の新作『さようなら、私の本よ!』を読み始める。

最初から乗れる。

「もう老人の知恵などは聞きたくない、

むしろ老人の愚行が聞きたい

不安と狂気に対する老人の恐怖心が」

というT・S・エリオットの詩の引用(「四つの四重奏」西脇順三郎訳)、エピグラフからわくわくさせてくれる。

前作『憂い顔の童子』を三分の一ほど読み残しているのをはたと思い出し、こちらを片付ける。

最後部分「加藤典洋」の書いた自作への批評が載った雑誌を電熱プレートに乗せて焼くところの、異様な迫力といったらない。

とにかく『取り替え子』でもそうだったのだが、江藤淳が迂籐で石原慎太郎が芦原として出てくるというだけで異様で笑っちゃうなか、なぜか加藤典洋だけ「加藤典洋」として現れるわけで、相当批評には頭にきたのだろうか。

こうしたことを今回の新作では自ら「老人の愚行」と名づけている。

この三部作全体が「老人の愚行」であり、それがいい。

ほんっとなんか偉そうな「老人の知恵」などありがたがって聞きたくもない、なぜなら老人というのはおおむね、馬鹿だからだ。われわれはその馬鹿さ加減に敬意を表するのだ。

それにしても加藤典洋氏、大江氏の小説に自分が出てくるので喜んでるかもね。

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