41歳の私は未だふらふらとしている。
落ち着きがなく、瞬間湯沸かし器の気味もある。
だからこの日記を彷徨亭日乗と呼び、東村山の
住まいを癇癪館と名付ける。
こういった人間である。

No.201〜220 バックナンバー 最新

■十一月某日

No.181

 『地下室』の顔合わせ、稽古初日。笠木汗だく。
■十一月某日

No.182

 昼間一時から四時まで『地下室』の稽古。友田、胃痛で真っ青。登山、顔がいってる。
夜、トラムで公演の『森の直前の夜』のリーディングを見、ついでにその後の佐伯隆幸氏のアフタートークまで聞いてしまう。佐伯隆幸氏なかなかにいい話っぷり。いままで座談会に同席したりした時には、ひとりで長々としゃべっていて聞いているこちらは眠くなりとろくな目にあわなかったが、談志流のしゃべりで(ちょいと褒め過ぎね)飽きない。後でこのことを言うと本人も自覚しているらしく、話すことを論理的にしようとして準備万端でのぞむとやたらと長くなるということだ。あるシンポジゥムでは二時間のうち一時間話していたという噂もある。
トラム、ロビーでもらった『コルテス戯曲集』、刺激的である。
■十一月某日

No.183

 『心象・三人姉妹』の三時のゲネに赴く。『心象・三人姉妹』を俺が口に出すと、『身障・三人姉妹』に聞こえると野並ジジイがのたまっていた。
恐ろしく想像を絶するほどの小空間で、入ったとき、また吉村かなんかが衣装をごたごたしていたものだから、「ここは楽屋か」と口に出てしまった。
狭いので妙に生臭いパフォーマンスだった。甘やかしてはならないのではっきり書くが、役者だけでパフォーマンスをやると、やはりどうしても発散に終始してしまう傾向がある。
『心象・三人姉妹』を後にして文学座のアトリエに。
稽古後、結局小林勝也氏らと朝まで飲んでしまう。最後は『風花』。
始発で帰る。数時間後にまた早稲田に来るのかと思うとむかむかする。
■十一月某日

No.184

 早稲田の講義。トニー・クシュナー、ジョン・ジェスランのことなど。
夜、『地下室』の稽古。リーディングのパンフ用の原稿を書く。
■十一月某日

No.185

 フランス大使館の招きにより、恵比須ガーデンブレイス「タイユバン」で昼食。大使館文化部、『地下室』の作者ダルレ、テアトル・ウヴェールのアトュン夫妻ら。評判のフレンチ・レストラン、『スパ!』の「キャバ嬢日記」でキャバ嬢がいち押しにしていたところだけあって、実においしゅうございました。
三茶のビジネスホテルにチェックイン。明日の入りが早いため。
夜、『地下室』稽古。ダルレ、稽古場に現れる。フランス版ウッディ・アレン(若いころの)といった風情のこの人は本当におだやかな若者だ。シャイで決して大声を出さないタイプの人だ。
リーディング宮沢章夫演出『アンヌ・マリ』見る。
■十二月一日

No.186

 『地下室』本番。小沢さん、新井さん、笠木、素晴らしい出来。友田と登山の動きも完璧、満足。アフタートーク、ダルレと。アトュン夫妻も大喜びで嬉しい。
TUTAYAでドン・シーゲルの『ボディ・スナッチャー』のDVDを見つけて買う。
■十二月二日

No.187

 二時、リーディング鐘下辰雄演出『職さがし』見る。
今回のリーディングを全部見た演出家は私だけだろう。他の演出家のみんな、、忙しぶるなよ、不勉強だぞ。
その後シンポジゥム。宮沢章夫氏の黒メガネ姿がやたらに怖い。
その後、味とめでフランス人達と鍋を囲んで大騒ぎ。フランス語大上達、嘘です。ケツクセしか言えない。ケツクセ、アシクセ、クチクセという駄洒落を披露した私、だいひんしゅくってこれも嘘。
宮沢君、アトュン氏に促されて黒メガネを取る。怖い顔私が言えた義理でもないけど。
■十二月三日

No.188

 夕方、文学座のアトリエに稽古を見に行く。
■十二月四日

No.189

 一時『カガヤク』の稽古。九時まで。なぜか楽しくて仕方なく、はしゃぐ。渡辺えり子も頭痛いだのなんだの言ってるが、元気。渡辺えり子は渡辺えり子である。青年団の『カガクする猿』を見たとか言ってる。
■十二月五日

No.190

 『カガヤク』の場当たり一時より。四時から通し。
七時半本番。カーテンコールはない演出だったのが、拍手鳴り止まず。こうなると半ば予想していた私はしっかり袖で待機していたので、えり子と相談しすぐに出る。即席のカーテンコール。
公演後のロビーのパーティーでは久しぶりに会う人々でいっぱい。
篠井英介と会うのも久しぶりで、八十年代にデビューした人間達のしぶとさについて語り合う。
味とめで二次会。
山手線は人身事故で大騒ぎ。
ああ、どこか透明な気分だ。
人間の死とは…
■十二月六日

No.191

 夕刻、劇場入り。渡辺えり子が「昨日怒ってなかった?」と聞くので、どうしてと聞き返すと、「じゃあとかいってぷいっと帰っちゃうからさあ」と言う。ああ、と私は天井を見上げる。私の父親がよく飲み席でこういう帰り方をしていたという。本人にはまったく他意がないのだ。
『カガヤク』二日目。大入り。
しみじみとした気分で帰る。
自分への御褒美に高い葉巻を買う。
『牛蛙』は今日初日である。
■十二月七日

No.192

 文学座アトリエに。マチネ二時。
終演後、楽屋で俳優、藤原新平氏、見に来ていた鐘下辰雄氏らと飲む。四時から飲んで楽屋を出たのが十一時。
「七時間飲んでたなあ。それだけ色々しゃべることがあるってことだ。いいことだなあ」と戸井田さんが呟く。
西武線は朝のラッシュのような混雑でなかなか乗り込めず、乗り継ぎの上石神井駅で三回もやり過ごしてしまう。そのために体が冷える。この冬一番の寒さだという。
■十二月八日

No.193

 三茶で買い物。
その後トラムで如月小春一周忌絡みのシンポジウム。
第一部のシンポジウムを覗くがつまらないのですぐに出て、三茶近辺を再び散策し、古本屋で植草甚一の『映画だけしか頭になかった』を見つけて購入。確か出版当時も買ったものでもしかすると横浜の実家にあるものかも知れないのだが、二冊あってもいい。しばしドトールで読む。なんか坪内裕三みたくなってきたな。
出席する第二部のタイトルは『舞台芸術と二十一世紀』だと、オトロシイ、ほとんどやる気なし。でもいざ始まってしまうとぺらぺらしゃべってしまう自分が恥ずかしい。坂手と内野が激しく対立する光景を想像していたが、しねえでやんの。坂手って妙に大人になったな、つまんねえの。
終了後、ロビーで乾杯。一周忌のイベントすべてが終了というわけ。軽くビールなど飲んで帰る。
帰宅してシャンパン飲む。美味い。
■十二月九日

No.194

 文学座アトリエへ。『牛蛙』マチネを見て、その後アフタートーク。例によって楽屋で飲む。小林勝也氏が凍結するのを合図に帰る。
■十二月十日

No.195

 久しぶりに癇癪館にいる。
『テアトロ』の原稿を書く。耳鼻科に行く。
『愛の貧乏脱出大作戦』を見るが、つまらない。
■十二月十一日

No.196

 早稲田の理工学部の講義。終えて文学部の研究室に。小沼の純ちゃんと偶然会う。純ちゃん、飲み過ぎなのか少し疲れた表情。シンポジウム面白かったと言われてうれしい。
夕刻、京橋のイタメシ屋でセゾン財団の忘年会。辻井喬氏と話す。羊屋白玉氏、清水裕之氏、坂手洋二氏、宮城聡氏と次々としゃべる。同行していた平井が私がつくづくパーティーのプロになったと感想を述べる。褒めてるのかよ。
■十二月十二日

No.197

 京都入り。造形大で会議。その後飲み会。さすが京都は寒い!
■十二月十三日

No.198

 リーディング『地下室』のスタッフが京都入りし、仕込み。
私はさぼって三条、四条辺りを散策。
夜、ひとりで寿司食う。BSで深夜、ABC放映のビンラディンがテロ犯人だという、公開された証拠ビデオを見る。
わからない。そっくりさんが演じてるんじゃねえのか、アメリカはそれぐらいやるだろ。
■十二月十四日

No.199

 俳優たち京都入り。ゲネを終え、『地下室』本番。
終演後、笠木達と焼き肉食べる。今後の劇団について語る。登山、歪んだ性生活について語る。深夜散会。
■十二月十五日

No.200

 午後、再び新京極界隈を歩き、京都文化博物館で開催されていた『チベット仏教・タンカ展』を覗く。
宮沢章夫演出『アンヌ・マリ』終演後のシンポジウムに出席。寒くて気分が乗らずさっさと終わろうと言っていたのが、またここでもべらべらしゃべってしまう。どうも効率が良くない。本当は二言ぐらいしかしゃべらず、いっぱいしゃべる人と同じギャラをもらうのが理想なのに。ああそれなのに、それなのにぼくって…
終演後の飲み会。インドから帰ったばかりだという鴻英良氏と語る。暑いインドからこの京都はかなりきつかろうが、この人のある種捨て身の生き方には時たま(ほんの時たま)頭が下がる。それに演劇業界はほとんど取り上げようとはしないが、この人は今ハンブルグの演劇祭からプログラムディレクターを任されていて、日本人の批評家でこれは初めてのことなのだ。鴻は演劇評論家のイチローなのだ。えらいのだ、氏は確実にみにくいアヒルのコから白鳥になろうとしているのだ。
深夜まで飲む。

No.201〜220 バックナンバー 最新

©2002,Tfactory Inc. All Rights Reserved.