彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

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『秋のドイツ・ハンブルグ編』

■九月九日 No.761
朝、ルフトハンザ機で成田発。飛行機のブレーキの故障が見つかったせいで出発時刻一時間半ほど遅れる。

フランクフルトからハンブルグ行きに乗り換えるのだが、隣の見知らぬ人々が乗り継ぎ便に間に合うかどうか心配しているので、私も心配しなくちゃと心配する。その人達はそれぞれライプチッヒ、ウィーンに向かうという。フランクフルトで入国審査があるので、一人旅なら問題ないが、団体である。時間との競争になること必至とみた。

気合を入れる。キャストのなかで隊長のはずの吉村さんはすでにへらへらと完全観光気分モードであてにならないことが早くも判明した。

フランクフルト着。降り際、女性乗務員に十分間に合うからと説明を受ける。

間に合う。

夕刻ハンブルグ着。

カンプナーゲルのアルバイトが迎えに来るが、仕切りが悪いので、いらいらする。

劇場に向かう。すでに先乗りしていたスタッフの手によって装置が建てられている。檻は鉄で作られている。現地のスタッフの手になるこれらは素晴らしいできだが、移動の檻の滑車までもが鉄であり、音がうるさくて台詞が消えてしまう難点を発見。

到着したばかりの俳優達はタクシーでホテルにチェックインに向かう。スタッフと共にまだ劇場にいると、世話役の女性が、血相を変えて「カタクラサンという人いますか」と走ってくる。何事かと聞くと、タクシーに乗ったところ、河村まなさんが片倉が同乗していないので、「片倉さんは片倉さんは」とむずがっているので、飛んできたという。やれやれ、クソガキが。

そういうわけで私はついにキレた。この第三エロチカの人達には以後、要所要所でキレたのだが、もういちいち書くのはやめておこう。

いや、やはり思い出すつどに書こう。

しっかしこうやって思い出して怒っているおれというのもすごいもんだが、劇団員のなかで人間に近いと信じていた連中が次々と馬脚を現すので唖然としてしまうのだ。これが哀藤なら、「またか」で終わりなのだが。

怒ったまま、劇場からバスで15分ほど、ハンブルグ駅に近いホテル、ベルナーホフにチェックイン。

路上に立つ街娼をちらちら見つつ、ハンブルグ駅まで歩き、構内を散策し、ビールを飲む。

■九月十日 No.762
いったん劇場入りしてから、お世話になったハンブルグ市の日本人のドン的存在の人に挨拶をしに、氏の経営する日本料理店に向かい、うどんをご馳走になってしまう。

檻の移動を試みる。やはり滑車の音が大きすぎて台詞が聞こえない。替えてもらうことに決定。

場当たり。

帰り、鴻と宮内と近くのクレープ店に入り、ワインを飲み、可愛くクレープを食べたのだが、期待していなかったのがなかなかの味だった。

深夜、ホテルに帰り、傘を忘れたことに気づく。

■九月十一日 No.763
朝食は様々な種類のパン、ハム、ソーセージ等のバイキングで10時までだ。だからだらだら遅くまで寝ていたいのだが、食べないとおそん感にさいなまれるので、必死に起きて食べる。みんな元気だ。

駅でヘラルドトリビューンを買う。この駅が好きだ。そこいらでビールを飲めるし、各国の新聞を購入できる。日本のもだ。

13時から稽古。

19時から通し。

9・11の今日、CNNも大々的にテロ以後について報道していたが、同時に福士恵二の誕生日でもある。

通し前から吉村さんや添田さんがいろいろと画策し、ダメだし後、吉村急にハッピーバースデーを歌いだし、ワインを開ける。

なかなか気がきいている。なぜ今日が福士氏の誕生日と知っていたのかと問えば、女性楽屋で本人がしきりに主張していたのだという。

ワインを開けた際、吉村、「スタッフの方々も遠慮せずに」とやり、静かに顰蹙を買う。スタッフはこれからいろいろ直しでまた大仕事なんだよ。この女何年やってんだろねっ。

それに比べて添田さん、山根君の機転は素晴らしい。添田は以後さまざまな局面で確実に株を上げていき、山根はいつも明るく、座を常になごませ、ムードメーカーになっていく。こういうキャラが座組みにはひとり必要なのだ。片倉なんかいっつも膀胱破裂寸前みたいな顔していて、何を苦悩しているのかなんにも苦悩してないくせにと突っ込みを入れたくなる表情、好感度ゼロで、こいつの俳優としての将来、暗い。

笠木はこの旅中ずっと孤高の人であり続けた。だからあまりボロを出さずに済んだ。

伊沢は最近徐々に人間になりつつあるが、まだ気が利かない。

気が利くとは何も私の世話をしろといっているのではまったくなくて、俳優とは聡明な社会的存在でなくてはならないということだ。

第三エロチカの前途は明るいんだか暗いんだか。どこの劇団員もこんなもんなんですかねえ。どこにも所属せずにフリーでやっている俳優はどこか違う。

スタッフと駅の側の中華店で夕食。

伊沢がデューティーフリーで買ったという葉巻をふかしてホテルの部屋部屋を徘徊しているという。葉巻はおれの真似か?

生意気なやつだ。ところで私のシガー嗜好をハイナー・ミュラーの影響と解釈しているむきがあるらしいが、私は高校生のころから葉巻を嗜んでいたのですよ。

グレンモーレンジ、シェリーウッドを飲んで寝る。

■九月十二日 No.764
起きて市庁舎の辺りを散策。

カフェで買ったばかりのヘラルド・トリビューンを開き、着いた日にレニ・リーフェンシュタールが死んだことを知り、フォーサイスのフランクフルト・バレイ団解散の記事を読む。

20時、上演。客席まあまあの入り。

やはり俳優やや固く、その緊張感が客席にも伝わっている。だが客はひとりも帰らず、終わって拍手響き渡る。

滑車は結局二度取り替えてやっとベストのものとなった。舞台監督村田氏が苦労して結局独自に取り替えた。担当した現地のスタッフはこのことにいたくプライドを傷つけられたらしく、替えて以後日本人スタッフとは視線を合わさず、見にも来ないという。

終演後、パーティー。向かいの劇場のオーストラリアのグループも今夜初日である。

シャンパンを飲み、ソーセージをかじるうちに本番中の緊張がほぐれていくのがわかる。美酒だ。

鴻が、出演している俳優の名前を全員覚えているのかと妙なことを聞く。当たり前だ、と答えると、感心している。くだらないので離れる。

■九月十三日 No.765
舞台は二日目だが、早起きでハレの下見に向かう。

ハレの会場は駅だ。駅って駅よ。演劇祭の一環として駅でやるのよ。それも廃駅じゃないのよ。今も生きている駅なのよ。それで客席と舞台をどう作るか決定するので美術の中越君と行くわけよ。

9時2分ハンブルグ発。ハノーバーに10時21分着。

ハノーバー10時36分発。ハレに12時56分着。

駅に芸術監督のベンヤミンが迎えにきている。車で市街へ。

駅でプロジェクトマネージャーのコーラとテクニカルディレクターのダニエルがいる。

駅である。地下鉄Uバーンである。しかし一時間に数本しか走っておらず、利用客も二、三人だという。

ここは旧東独である。

ホームから上がったところの構内に舞台と客席を組むのだ。

本部と宿泊はこの駅のすぐ前に建つホテル・ニュースタッドで、これはかつての公営アパート、今は空家となって廃屋になっている部屋部屋を改造したものだ。

かつては東独の人達がここに大勢住み、駅から化学工場へ通うのに数千人もの労働者が地下鉄を利用していたのが、統一後、このようにすっかり様変わりしてしまったのだという。

ここハレは統一後、取り残されてしまった旧東独の典型的な地方都市であり、今一度注目と活気を取り戻すために今回の演劇祭が目論まれた。ベンヤミンはもともと西出身者でベルリンに住む建築家であり、スタッフはベルリンから来た西出身者と当地ハレのターリア劇場のスタッフから構成される。コーラもダニエルもハレ出身でターリア劇場のスタッフだ。つまり廃屋だった旧東独の劇場を西のノウハウと東の頭脳で復活させたベルリンのフォルクスビューネと似たコンセプトね。

ベンヤミンにホテル内を案内される。

内装は現地の子供たちがしたという。エレベーターは作動していない。四部屋が一単位となって廊下に出入り口が並び、それぞれのスペースにテーマがある。つまり外に国の部屋とあって入っていくとなかのそれぞれの四部屋が、日本、アメリカ、東独、ロシアとか分かれていて、日本の部屋には妙な簾のようなものと日の丸がかかっていたり、アメリカの部屋の壁には「プッシュを殺せ!」と書かれている。なんかこの部屋泊まるのいややわ。

四季の部屋は文字通り春夏秋冬に分かれていて夏の部屋なんかパラソルが挿してあって潮干狩りみたいな道具がある。

もう全部屋ほとんど冗談で、できればツートンカラーの部屋に当たらないでほしいものだとホテルを後にする。

列車の時間まで時間があるのでベンヤミンに車で旧市街まで送ってもらい、散策する。ここはヘンデルが生まれた町で広場の真ん中に銅像が建っている。

ハレとは塩を意味し、海のないドイツで岩塩工場のあったこの町はかつて栄えていたという。

22時、ハンブルグ到着。列車の旅、年中食堂車に向かい、車窓を眺めながらビールを飲みつつ時を過ごす。

駅前のレストランで本番二日目を終えたばかりのスタッフと落ち合い、ハレの対策会議。

今夜の舞台の出来、俳優達はとてもリラックスして客席の反応は昨日以上に熱があり、客電をつけても拍手鳴りやまず、俳優達のコールが続いたという。

■九月十四日 No.766
ハンブルグの千秋楽。

遅く起きて、駅でサーモンのバケットを齧り、散歩。

15時、オーストラリアの劇団の芝居を見る。

駅に戻って近くの中華店でワンタンメンとビール。

昼寝をして再び劇場へ。

滞りなく楽日終わる。

アフタートーク。いろいろ質問が飛ぶ。通訳は山守君といってハンブルグ大学で日本語を教える教授の息子さんで、優秀とのうわさどおり、的確に伝え、訳してくれる。

疲れがどっと出る。

劇場ロビーでぼんやりビールを飲んでいるとオフスの演劇祭からこちらへやってきた解体社の役者さんがやってきて、「ティーファクトリーというのはこのために作ったんですか?」などととんちんかんなことを聞いてくるので、「ずっと続きます」とだけ無愛想に答える。その人はすっと離れていく。疲れて人と話す気が起きない。

人より一足先に駅に戻るが、日曜の夜のせいでレストランは早目に閉められている。初日に入ったレストランの旦那が私の顔を覚えていて、声を掛けてくるが、彼のところもちょうど閉店だ。仕方なくマクドナルドを齧る。

さっさと寝る。

■九月十五日

No.767

昨夜とっとと寝たのにはわけがあり、今日はビーレフェルトへの移動日なのだが、私と村田さんは記者会見と劇場下見のためにズールへ行き、それからビーレフェルトに入る行程なのだ。

それでもって6時起床。8時3分の列車に乗り、二度乗り換えて 11時42分、ズール着。ハレ以上に東独中の東独である。そしてここが一番厄介と思われたのは他の三箇所と違って演劇祭ではなく、日独協会の重鎮ホラー氏の個人招聘である点なのだ。

プラットホームにホラー氏と思しき人が手を振る。

大柄、白髪にベレ帽、杖をついて近づき、私をじっと見つめる。劇場に向かう。

緑が多く、遠くに山がみえるこの地は、かつての東独の政府高官の保養地であり、今でもVIPへの接待に使われることがあるという。

時折独学で学んだ日本語を披露するホラー氏はゴーリキーの時代のロシアの短篇小説に出てきそうな老人だ。

劇場内の会議室で記者会見。テレビカメラ一台に記者五人。しかし通訳現れず。しばし英語でやっていると学生で企業研修をしているという日本の女子大生が現れる。

劇場下見。二千人収容の大ホール。この人口のない小さな村でどれだけ集客ができるというのだろうか。

ホラー氏の車でバッハの生地というアイゼナッハ駅まで送ってもらう。村田さんと一安心。アイゼナッハまで列車でいくとしたら途中バスや路面電車に乗ったりとえらく複雑だったのだ。アイゼナッハに着く途中、ソーセージを食べる。村田さん、おいしいおいしいと食べている。

アイゼナッハ発の列車でまた私は食堂車に入り浸る。

アルベンケン駅からビーレフェルトまで最後の乗り継ぎの列車は普通列車でうらぶれた風情がある。人はほとんど乗っておらず、動き出すと、村田さん、いびきをかいて熟睡に入る。うらぶれた列車の心地よさ。

22時半、ビーレフェルト着。劇場がまだ開いているので来いという連絡が入り、タクシーで劇場シアター・ラボの住所を指差すも、ここだと言われて降りたところは違う劇場で、宿泊するホテルが近くにそびえている。ちょうど帰ってきた笠木、吉村、添田と会い、笠木に連れて行ってもらう。徒歩5分。

ここは劇団の劇場であり、シアター・ラボの劇団員が総出で搬入等々をやってくれたのだという。

村田さんここでデジカメを落としたことに気がつく。

スタッフ連中、なんで変なところで降りたんだとかぎゃーぎゃー言いやがる。好きで降りたわけじゃない。

11時過ぎ、ホテルの入り口に辿り着くとまた吉村と添田にばったり出くわし、吉村「また会っちゃったキャハハハハ」だと。添田の「おつかれさまでした」と比べてどうだ。まったく40歳にもなってほんとに情けない。リトルマサ子は「吉村さんを目指します」とかいっていたが、だめだめ、やめたほうがいい。リトルマサ子よ、もっと大物を目指せ。

第三エロチカはもう若者に期待するしかない。

が、片倉と河村まなの変人と子供のコンビを見ていると気持ちが暗くなる。こうした手合いは二十数年の劇団生活で幾度か見たが、劇団員に恋をした女の劇団員は概ねその時点で終わりだ。劇団にいたい動機が彼といたいためということになり、周囲に多大な迷惑をかけて終わるのである。

このふたりがどうなるか知らないけれど。どうでもいいけれど。

ホテルにチェックインしてろくな夕食を食べていないので空腹で仕方なく、ひとりで蓮向かいのイタリアンに入る。スパゲッティ・ポロネーゼを頼むとそれが存外おいしい。

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