彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

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『秋のドイツ・ハレ編』

 

■九月十八日 No.770
9時起床。

朝食をとりにレストランに向かうと、同じく演劇祭の参加者でT factoryの前に公演していたイタリア人の女優が昨晩は素晴らしかったと演出家に伝えておいて欲しいと言われたと福士氏からの伝言。

私はズールの下見で見られなかったが、彼女のひとり芝居の舞台もまたとてもよかったと見た俳優達はいっていた。

部屋でCNNを見る。

正午、チェックアウト。

13時38分、ビーレフェルト発のICEで17時頃ハレ着。

駅にダニエル達の出迎え。車でホテル・ニュースタッドへ。

チェックインに時間がかかる。

私の部屋は8F。ひえーっ、階段で重いスーツケースを運ぶ。もう汗だく。

私の部屋はジャングル部屋のなかの一部屋で名前は「ジェーン」、隣が「ターザン」で福士さんと片倉の部屋が「アマゾネス」、山根、伊沢部屋が「サバイバル」。

「ジェーン」は緑の壁が思いのほか普通だった。窓からの眺めはよく、舞台になる駅、その向こうの緑の中の湖、ホテルの前、スーパーが見渡せる。

「ターザン」に人は泊まっていないようだ。

「アマゾネス」には変な天蓋のベッドがあり、そこを福士氏が独占して床に直に敷かれたマット、模型のオウムの下で片倉が膀胱破裂寸前の顔つきで横たわっている。その図がこの男に妙に似つかわしい。この男、本番中、すでに同じ台詞の箇所を二度同じ間違いをしている。

そればかりでなく、仕事はするのだが、どうも人間的なセンスに欠けている。

「サバイバル」部屋は軍隊のような二段ベッドだ。

あとで聞いたのだがベッドは病院から古いものを、毛布は軍隊から調達されたものだという。

なかを散策。幼少の頃住んでいた公団アパートの造りに似ていて妙になつかしい。社会主義の残骸。

原島さん、小松は旧東独部屋にあたり、わざと電気が引かれていないということだ。なんというマゾヒズム。

原島・小松両氏はすぐさまサバイバル体勢に突入、前のスーパーでローソクなどを買い求めているので、私も確かめたわけでもないのに不安になってローソクを買ってしまう。他にグラス、水、ティオペペ等々。

部屋に戻ったら電気はちゃんとつく部屋で5Fの共同キッチンにグラス、コップの類はあった。

さらに内部を散策していると、熊の着ぐるみが廊下を徘徊し、こっちに来いと手招きし、なかを案内してくれるのだ。もう俳優達はおもしろがって大騒ぎ。

21時、ホテル・ロビーで日本側とターリア劇場側、すべてのスタッフが集まって会議。場所を駅に移して会議。

ターリアのジェネラルマネージャー登場。こちらのスケジュールが駅だとどうしても無理であるよう。生きている駅のため、朝全部を仕込んでも夜にはすべてばらさなければならず、当日の朝でなければ仕込めない。

もう数ヶ月前にこちらの希望を送っていたのだが、明快な答えを得られないまま、今ここにやっとスタッフ間の直接の話し合いがもたらされたわけだ。

ついにターリア側、駅では無理そうだから、私たちの劇場でやることにしよう、ついては今から下見を、ということになり、急遽車で街の中心部のターリア劇場に行くことに。

時刻は24時をまわろうとしている。

劇場に着く。

確かにここでやるほうが楽だ。

しか二ヶ月ほど前に下見して聞いたという平井の説明の言葉が頭によぎる。

なぜ劇場がありながら駅かということ。

ひとつには旧東独のこの街を盛り上げるコンセプトに密着するためにホテルの近くでやるということ。

栄光あるターリア劇場が統一後、客離れ、殊に若者離れが激しく、以前このようなフェスティバルで一劇団が劇場でやったところ、まったく客が入らなかったということ。

それでもターリアの人達は私らと同様舞台人であるから、駅でやることのリスク、つまりほとんどぶっつけでやるしかないスケジュールの危険と不安を理解しての劇場への変更意見なのだった。本心は駅でやってもらいたいに決まっている。

私は瞬時にいろいろ考えた。

この人達は信用、信頼できると思い、「よし、駅でやろう」というとターリアの人々、コーラも含めてみんなぽかんとした顔つき。

そういうわけで深夜未明、ジェーンに戻る。

5Fの共同シャワー室に向かい、ぬるい湯で頭を洗っていると途中で水になる。

震えたまま、ドイツ産の小麦の焼酎KORNを飲んで寝る。

■九月十九日 No.771
工事の音で目が覚める。どこかの部屋の壁をドリルで開けているらしい音。

窓の外は快晴。コンクリの破片が散らばるベランダに出る。下手に手すりに寄りかかると壊れてそのまま落下しそうだ。隣の福士部屋のベランダの針金に洗濯物がぶら下げられている。

朝食は夜はバーになる1Fの店でバイキング。なんだかんだいって朝食と夕食が食べられ、真ん中がへこんでいるとはいえベッドで眠れるのだから十分だ。

シャワー室にいくとお湯が出るので昨夜体にはりついたままの石鹸を落とす。

昨夜決めた通り、正午からターリアのスタッフ、駅の地面にリノリウム張り。

13時から檻のフォーメーションの確認。

今日はフェスティバルのオープニングということで特別にランチボックスが配布された。生のニンジンやソーセージ、パン。そしてなぜかチキンラーメン風のインスタント麺が入っている。

ホテルの玄関ではオープニングセレモニーが始まっている。ニンジンを齧り、ビールを飲んで眺めていると、次々に参加団体、人間が呼ばれ、ホテルから出てくる。T factoryも呼ばれたので傍らにいた伊沢、添田、山根を促し、ビールを持ったまま慌ててホテル玄関まで走り、やあやあと手を上げて仮説ステージまで歩く。

州の知事か議員かなんかのスピーチ。

グロテスク・マルの街頭劇が始まる。

とにかく現場と宿泊がこれだけ近いと実に便利で、8Fまでの上り下りもそう苦にならない。

黄昏時、窓から射す西日を浴びつつベッドでまどろんでいると、自分がこうしてかつての東独で人々が生活していた場所でいることの不思議な実感が湧きあがってくる。

そしてなぜか統一後も東独は生きていると確信している自分がいる。

スーパーで『グッバイ・レーニン』という今ドイツで大人気のコメディのビデオを買う。

これもまたかつての東独をなつかしむコメディだという。

仕込みが当日の朝からしかできないと決定されたため、明日は予期しなかった休日となった。

俳優達はベルリンにいくかライプチヒに行くか相談している。ベルリンを日帰りしてもあまり意味がないのではと助言する。

ランチの配給があったぶん、今夜は夕食がないと判明し、人々一気にスーパーに走る。こうした情報をこまめに仕入れてくるのが添田だ。

ホテルの外の丸太に座り、ワインを飲む。横にいた笠木にワインを飲んでいていいから荷物を見ていてくれと言い残してマックでハンバーガーを買ってくると、笠木はワインの大部分を飲んでしまっている。

スーパーのなかのシネコンでフランソア・オゾンの『スイミングプール』をレイトショーで23時から見る。なんと客は私ひとり!

深夜、ションベンをするのに廊下をいく。しんとしていて誰もいない。キェシロフスキの映画のなかに入り込んだ錯覚にとらわれる。ポーランド映画のなかで見出せるソシアリズムだ。

東独の亡霊は現れない。

■九月二十日

No.772

初めてにして唯一の休日だ。

ライプチヒにいってたはずの福士氏がうろうろしているので、聞くと、昨夜下のバーで朝まで踊っていたという。俳優のなかでは最年長にして一番元気なのが氏で、しかも天井桟敷時代の海外公演を多数こなしているので、実に旅慣れていて、プロの佇まいがある。

いつまで経ってもプロになれない、演劇を趣味とする主婦吉村とは段違いだ。

正午過ぎ、旧市街まで路面電車で行き、ヘンデル・ハウスに入る。

ヘンデル像近くのレストランに入ると食前ウゾ一杯のサービスがあり、さらに食後にもウゾが出る。ビールとサンブーカも飲んだので、ほろ酔いでホテルに帰り、ベッドでまどろむ。

窓からは東独の夕暮れ。

■九月二十一日

No.773

スタッフは早朝六時半からの仕込み。

駅に行くとターリアのスタッフが着々と仕事を進めている。正確にして的確な仕事振りだと日本側のスタッフが感心している。

16時リハーサル。しかし日が高いため照明とビデオを見るのは不可能でぶっつけである。

20時開演。間際に続々と客がやってきてあっという間に客席が埋まり、満席。

開演中、電源が落ちたりしないように無事に終わるようにと祈る。私のトラウマ。

無事終了。拍手が鳴り響く。

カーテンコールに私、初めて出る。恥ずかしい。しかし、拍手鳴りやまず、数回舞台に出る。

バラ一輪をもらう。

バラシ。これもまたターリアのスタッフの手で素早く行われる。

23時夕食。

明日はズール入り。

物事とはひとつひとつ終わっていくものだという感慨に耽る。
すぐ寝る。

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