寺山修司没後25年特別公演

CAST

毛皮のマリー:川村毅
欣也(美少年):手塚とおる
紋白(美少女):菅野菜保之
下男/醜女のマリー:笠木誠
刺青の水夫:中村崇
鶏姦詩人1:伊澤勉
鶏姦詩人2:村島智之

美女の亡霊:森耕平、森山光治良、椎谷陽一、村井雄、岡大輔、関洋甫

STAFF

作:寺山修司 演出:川村毅
衣裳・美粧:宇野亜喜良 企画・監修:森崎偏陸
 
照明:大野道乃(東京)中村昭一郎(青森)、音響:尾崎弘征、舞台監督:小松主税
協力:テラヤマ・ワールド
提携:世田谷パブリックシアター(東京)
青森公演 共催:青森県立美術館、制作協力:青森演劇鑑賞協会

製作:平井佳子/ティーファクトリー
助成:日本芸術文化振興会 舞台芸術振興事業

公演日時

2008年

シアタートラム
5月1日(木)19:30
5月2日(金)19:30
5月3日(土・祝)15:00と19:30
5月4日(日・寺山氏命日)14:00と18:00

青森県立美術館1階シアター
『寺山修司 劇場美術館』特別関連公演
5月10日(土)19:00
5月11日(日)15:30

毎日jp

ステージウェブ

イープラス川村毅&手塚とおるメッセージ

料金

シアタートラム
全席指定 一般 \5000 学生割引 \3500(主催のみ取扱)

青森県立美術館 
自由席 前売 \2500 当日 \3000

東京公演チケット取扱

テイーファクトリーオンラインチケット

ティーファクトリー tel.03-3344-3005 fax.03-3344-3051

劇場チケットセンター  

イープラス eee.eplus.co.jp(パソコン・携帯)

電子チケットぴあ tel. 0570-02-9999(Pコード385-561)http://pia.jp/t/

前売り開始  3月29日(土)

☆ ☆ ☆

↓『同い年』のふたり

川村毅撮影:増森健
提供・テラヤマ・ワールド
1982.12 雑誌「太陽」表紙の寺山修司 撮影:有田泰而

川村毅は美しい!  ---森崎偏陸(テラヤマ・ワールド)

「鏡よ、鏡、鏡さん、この世で一番の美人はだれかしら?」と、問われたら、「マリーさん、この世で一番の美人は、あなたです。」と、鏡でなくても答えたくなるほど、美輪明宏さんの「毛皮のマリー」は美しい! だが、川村毅氏が「毛皮のマリー」で現れたら、現実世界ならば、鏡は答えに窮するに違いない。
ところが、演劇というのは、ここに言葉の魔力と、観客の想像力がプラスされるから、おもしろいのだ。
鏡がスラリと「この世で一番の美人は、あなたです。」と答えた瞬間、川村氏の「毛皮のマリー」は美しくなるのだ!

この戯曲は、演劇実験室・天井桟敷の第三回公演、一九六七年、寺山修司三一才の時の作品である。
美輪さんはこう語る。
「長崎と青森で、同時期に同じように映画を観ていたのでしょうね。ああ、この台詞はあの映画、と台本を読むと、すぐにわかりました。稽古場でね、修ちゃんたら、こう言うのよ。しみじみ私の台詞を聴いてね、『いい台詞だねぇ、誰が書いたんだろう?』って」
うらやましい限りである。同時代を生きた二人の天才だからこそ、かわすことの出来る会話である。

今年、川村毅氏は、寺山の逝った四十七才になったのだと言う。
私は前に、川村氏の演ずる「卒塔婆小町」を観た時から、この人に「毛皮のマリー」をやってもらいたいと、思っていた。川村氏が一瞬、美しく光り輝いて見えたのだから!
それはまさに、三島由紀夫の「台詞の力」ではなかったか、と私は思っている。
寺山修司の「台詞の力」で、川村氏をもう一度美しく輝かせたい、というのが私の願いである。

寺山修司没後二十五周年、川村毅四十七才の現在、テラヤマ・ワールドが演劇界にたたきつける挑戦状!

装置は、猫足付きのバスタブ一つ!照明はHMIの強烈な明りをメインに、衣裳は、白一色に統一してみたい。そして、寺山修司の極彩色の幻想世界を、観客の脳裡に焼きつけてみたいのだ。

言葉の達人たちが、今なお、寺山修司の戯曲に注目して下さるのは、うれしい。
そして、その言葉の達人たちによって、舞台が出来あがるのを観ることの出来る私は、この上もなく幸せである。

寺山の台詞をいうことについて   ---川村 毅

森崎偏陸氏は、
「寺山の戯曲は、演劇の教科書だ。たいていの戯曲は、読むだけでも堪能できるし、誰がやっても成立し得るが、寺山の台詞は、ある身体を通して発っせられることによって初めて成立するという意味において、本当の戯曲であり、そのことが分かるような寺山戯曲の上演をしたい。ひいては、そのために『毛皮のマリー』のマリーさん役を川村にお願いしたい。川村は劇作家であるから、寺山の言葉を正確に伝えることができるだろうし、なにより、作家がどんなにか大変な過程で大切に言葉をつむぎ出していったかを理解できるだろうから」
と、私に述べた。私はその言葉に心動かされた。
まず、寺山の戯曲が、演劇の教科書という点だ。これには大いに賛同する。戯曲のみならず、寺山の演劇理論、例えば、市外劇論、空間論などは、実験、前衛、アバンギャルドといった類のターム内だけで今やとらえ続けるべきものではなく、時を経て、演出の教科書と呼んでいいものだと、常々私は思っていたからだ。
 今回、戯曲と台詞のことを森崎氏に指摘されて、私は、そう言えば寺山の戯曲も、教科書だと再認識させられた。
―本当の戯曲とは、舞台で吐かれて初めて成立し、光り輝くものだ。
という考えは圧倒的に正しい。読書だけでは、ともすれば見落としてしまうイメージと観念は俳優の体を通して初めて読まれることが可能となる。
しかも、その俳優として、森崎氏は、私を指名した。
マリー役とは、俳優の私としては『卒塔婆小町』の老婆役の延長線上にある、とは、これもまた森崎氏の見解である。
私は、俳優業をあきらめたわけではないが、私の過剰さが、ナチュラリズムの演劇にはむかないことは自分でも知っている。
つまり、オバーサン男優として生きるのが私の俳優としての道であるとしたら、なるほど、まさに47才、寺山の死んだ年齢にマリー役を演じることは、まことに宿命的といわざるを得ない。

五月の鷹   ---平井佳子(製作)

偏陸さんには、第三エロチカの殆どの時代の宣伝美術をお願いしていた。
実はそれは、私のテラヤマ的なるものへの憧憬に因る。
私の最初で最後の天井桟敷体験となった「レミング」のことは昨日のことのように覚えている。15歳の私は学校帰りの体操着の袋を持って、その頃気に入っていた刺繍の入った赤いセーターを着て、一人紀伊國屋ホールに赴いた。そこには全員黒装束の観客の行列! ちょっと気後れして後づさると、大きな人にぶつかった。見上げるとそれは『寺山修司』という生き物。亡くなる五ヶ月前だった。
ラストシーン、皆さんにはお馴染みの、真っ暗闇の中、出口に釘を打つ音。「帰れなくなっちゃった」と、本気で涙ぐんだ。
それから私は演劇の航路に漕ぎ出し、すぐに寺山修司を失い難民になった。
「川村の処へ来たのは、最も寺山さんに近い人だと思ったからなの。」ハタチくらいの小娘の私がそう言うと、偏陸さんは静かに笑っていた。
これは偏陸さんへの恩返しか、偏陸さんの仕返しか。
川村に劇作家に専念して欲しくて10年来延期し続けてきた偏陸さんのラブコールに応えることにしたのは、色々が重なって時が満ちたと思ったから。
そして「カワムラ・ワールドで創って欲しい」とのご要望通り、今川村が最も信頼する俳優の人々、そして敢えて寺山氏への思い入れが特別に無い人々、のキャスティングが叶った。
25年を経て追悼出来ることは、感慨深い。

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